島津家 歴代最恐の暴君!?外道伝説ばかり語られる武将・島津家久の人生がやはり色々とヤバかった【後編】 (3/3ページ)

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2つの奇跡

その後の島津家は、関ヶ原の戦いで西軍(石田三成)陣営に尽力したものの敗北。このとき敵兵に囲まれて絶体絶命の義弘でしたが、味方を犠牲にして追手を止める「すてがまり」という作戦を用いて、なんとか奇跡の生還を遂げまています。

一方で、島津家の裏切り行為に対して激怒していた徳川家康は、島津全滅計画を企てていました。しかし、大きな戦争が終結したばかりの不安定な状況下で新たな戦争を起こすことは得策ではないと判断。島津家は2度目の奇跡に恵まれたのです。

その後、忠恒は徳川家康を相手に謝罪を繰り返し、許しを得るなど当主としての手腕を発揮します。こうして島津家の存亡は完全に免れたのでした。

今回は島津忠恒のエピソードについて前編・後編に分けて紹介しましたが、まだまだ話題の尽きない人物です。果たして彼は英雄だったのか、暴君だったのか…ぜひ皆様も考察してみてくださいね。

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