島津家 歴代最恐の暴君!?外道伝説ばかり語られる武将・島津家久の人生がやはり色々とヤバかった【後編】 (1/3ページ)

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島津家 歴代最恐の暴君!?外道伝説ばかり語られる武将・島津家久の人生がやはり色々とヤバかった【後編】

前編では、鎌倉時代から江戸時代まで700年間に渡って南九州を統治してきた島津家のなかでも、歴代最恐の暴君として名高い「島津忠恒(家久)」が島津家当主になるまでのエピソードを紹介しました。

島津家 歴代最恐の暴君!?外道伝説ばかり語られる武将・島津家久の人生がやはり色々とヤバかった【前編】

後編では、島津家の繁栄に尽力しながらも悪名を轟かせ、自らの行動がキッカケでお家存亡の危機を招くことになる島津忠恒のエピソードを紹介します。

島津忠恒(Wikipediaより)

裏切り者は成敗

豊臣秀吉の没後、中止となった慶長の役から日本に戻ってきた島津忠恒は、正式に島津家の当主となりました。当主になってからは、心を入れ替えたかのように蹴鞠や酒、女に溺れる生活から脱却。一方で、自身を裏切るような行動をとった人物に対しては容赦のない報復を行うようになります。

ターゲットととなったのが島津家の筆頭家老・伊集院忠棟です。

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