関係者が語る「感動&爆笑」秘話!大谷翔平と長嶋茂雄「野球2大ヒーロー」封印伝説30【画像】「名場面&珍場面」リスト

令和5年もファンを魅了した、日本が誇る2人の天才。知られざる真の姿を、涙と笑いの逸話から読み解く。
29歳の“二刀流”大谷翔平と、87歳の“ミスター”長嶋茂雄。このオフ、野球界が生んだ新旧“国民的スター”の明るい話題がそろい踏みとなった。
「大谷をめぐるFA争奪戦。日本のみならず、世界中が注目しました」(スポーツ紙デスク)
一方のミスターは、11月23日に開催された巨人のイベントに登場。久しぶりに、大勢のファンに元気な姿を見せた。
「実は最近、関係者の間では“体調悪化説”も囁かれていたんです。でも、“勝つ”を三唱して、東京ドームに詰めかけたファンを沸かせましたからね。来年、現役引退50周年を迎えるミスターの健在ぶりに、みんなホッとしたのでは」(球界関係者)
そんな2人の国民的スターには、我々がまだ知らない“伝説”が数多く存在する。今回は、関係者の証言を交えながら、彼らの意外な横顔をクローズアップしてみよう。
■ドジャースがベストな選択
……と、その前に。今一番気になるのは、やはり大谷の移籍先だろう。「戦力や環境などを総合的に判断するなら、やはりドジャースがベストな選択ですね」(大リーグ評論家の福島良一氏)
気になったのは、背番号「17」の行方。日本ハムでは「11」、WBCでは「16」をつけていたが……。
「大谷本人は“背番号にこだわりはない”と語っていますが、実は“17”は母校・花巻東高で1年の夏につけた彼の原点。先輩の菊池雄星(ブルージェイズ)も1年時につけていて、同校では今や“出世番号”として定着しています」(スポーツジャーナリスト)
■ミスターとの背番号秘話
一方、ミスターとの背番号にまつわる秘話を明かしてくれたのは、巨人OBの角盈男氏。角氏は入団早々、大洋から移籍してきたシピンに、決まっていた背番号「11」を取られ、「45」に変えられてしまったのだという。すると、当時の長嶋監督から声をかけられた。
「“背番号は自分で作るもんだぞ”って。僕にとっては、それが長嶋さんとの初対面。この間の“勝つ、勝つ、勝つ”じゃないけど、四の五の“45”で“カブ、カブ、カブ”って激励されたのは、今でも鮮明に覚えているよ」(角氏)
■お金に無頓着という“共通点”
さて、2大スターには、破格の高給取りにもかかわらず、とことん、お金に無頓着という“共通点”がある。
「大谷は、世界一稼ぐ選手となった今でも、外食や遊びには目もくれず、お金はほとんど使わない。中学の修学旅行では、家族へのお土産だけ買って残りは親に返した、という話が伝わるほどですから、お金への執着のなさは筋金入りです」(スポーツライター)
そんな大谷以上なのが、我らがミスター。V9後期のチームメイト・関本四十四氏が証言する。
■「契約金どこの銀行に預けましたっけ?」
「長嶋さんはプロ入り時の契約金が、当時のお金で2000万円とも言われてね。その真偽を確かめようと、一度“戸建て何軒分ですか?”って聞いたことがあるんだよ。でも、当の本人は指折り数え始めて、途中で“いや、もう分からん”って。たぶん気にしたことがなかったんじゃないかな」
金に無頓着なミスターの伝説はまだある。プロ入り後は、契約金の管理を立大時代の先輩に一任。だが、その先輩に頼んだことをすっかり忘れ、「僕の契約金って、どこの銀行に預けましたっけ?」と尋ねたこともあったという。さらに……。
「あれは、たしかV6の1970年。立大の後輩だった土井(正三)さんが、長嶋さんに“MVP獲ったら副賞のクラウンくださいよ”って言ったら、二つ返事で“いいよ”となってね。でも結局、長嶋さんはそれを忘れて、立大の同期にあげちゃった」(前同)
土井は“約束したじゃないですか”と、ミスターに猛抗議したという。
「すると翌日、広告チラシに無造作にくるんだ70万円をポンと渡して“これで車でも買いな”って。そこは関西人の土井さん。ちゃっかり“もらった”って言ってたね(笑)」(同)
ちなみに、当時の70万円は、一般家庭の平均年収にも相当する額。現代なら、400〜500万円の現金をポンとプレゼントするようなものだろう。
■総額6億円をプレゼント
ただ、プレゼントのスケールの大きさでは、大谷も負けてはいない。国内の全小学校にグローブを3つずつ、総額6億円もの太っ腹な贈り物をしたのも、記憶に新しいところだが。
「通訳の水原一平さんには新婚旅行を贈っていますし、WBCでは自身がCM出演する高給腕時計をラーズ・ヌートバー(カージナルス)に“あいさつ代わり”のプレゼント。余談ですが、そのWBC出場時は片道4000万円近くかかるとされるプライベートジェットで日本に帰国しています」(前出のスポーツライター)
そんな豪快さもさることながら、何をしても、なぜか憎まれない“愛嬌”も、2人の大きな特徴だ。
■サインの裏話
たとえば、長嶋監督初年度の75年。ミスターは三塁コーチャーズボックスに入って、サインを出していた。
前出の関本氏いわく、ボックス内のどの位置で立ち止まったかで、バントやエンドランを伝える単純なサインを使っていたそうだ。
「でも、長嶋さんは動物園のパンダみたいにやたらと動き回るから、ヤクルトとの最初の対戦で、向こうに5回ぐらいですぐ見抜かれてね(笑)。周りから“監督はベンチでドシッと座っていたほうがいい”と説得されて、その後はボックスに立たなくなった」(関本氏)
サインといえば、今季の大谷は、自らサインを送れる“ピッチコム”で、投手としてさらに進化。その反面、開幕当初は新ルールの“ピッチクロック”への順応に苦戦した。
「4月5日のマリナーズ戦。大谷は、これに違反して初回にボークを取られていますが、“らしさ”が出たのが、その後の振る舞い。
攻守交代時に、守備につく相手選手がボールを欲しそうにしているのを見るや、大谷は監督らとルールの確認中だった球審の腰袋から、勝手にボールを抜き取って相手にトス。あれは長年、大リーグを観てきた私も初めての珍しい光景でした」(前出の福島氏)
■MLBでも“クソガキ”健在
周囲も驚く大谷の大胆行動は、ロッカールームではさらに加速。日本ハム時代には、先輩たちに数々のイタズラを仕掛け、“クソガキ”の異名を取ったほどだ。
「エンゼルスの同僚だったホセ・スアレスには、“デテケ”“ブサイク”“ナニミテンダ”といった、とんでもない日本語を教え込んでいました(笑)」(スポーツライター)
対するミスターも、ロッカールームで、とんでもないふるまいをしたことが。
「風呂上がり、長嶋さんはいつも股間にベビーパウダーを叩いてからパンツをはく。でも、あるとき、その粉で自慢のバーバリーの革靴が汚れてしまってね。たぶん本人の中では“磨かなきゃ”って頭で、手近にあった白い布を何の気なしに取ったんだと思う」(関本氏)
その布にスミをつけて靴を磨き、ミスターはさっそうと帰っていった。
「でも、長嶋さんが靴ズミで汚したその白い布は、実は黒江(透修)さんの下着でさ(笑)。被害者の黒江さんは、抗議するでもなく、翌日は一番離れた場所で着替えていたよ」(前同)
■負けてカーテンを引きちぎったことも
前出の角氏は、悔しさのあまり、感情的になってモノに当たる長嶋監督の姿も目撃している。
「負けて帰るバスの車内で、突然、カーテンを引きちぎったこともある。ただ、あるとき、ベンチで何かを蹴飛ばして足を痛めたんだろうね。宿舎のトレーナー室で、誰もいないのを見計らって、一人、こっそり湿布を貼っている姿を見たこともあったよ」(角氏)
■“乱闘”でバッグハグ
一方の大谷は、昨年6月26日、マリナーズとの“乱闘”に参戦したことが大きな話題になった。
「でも、殴り合いには参加せず、相手投手コーチをバッグハグで制止。その姿には、SNSに海外女性ファンからの“嫉妬しちゃう”といったコメントが殺到しました。また、平和的な振る舞いは、現地記者に“野球史上最も礼儀正しい乱闘参加者”とも評されていました」(スポーツライター)
■「世界一の選手になるのに酒は必要ない」
ふだんから冷静な大谷は、先輩からの酒席の誘いを平然と断ることでも知られる。
「周囲に“誘いを断って嫌われないか?”と心配されても、“世界一の選手になるのに、酒は必要ない。世界一の選手になれば、みんな好きになってくれる”と答えたそうです。その信念に頭が下がります」(前出のスポーツジャーナリスト)
ミスターも、強靭なメンタルを持っているという。
「長嶋さんはプラス思考の人で、半世紀以上も前からメンタル面を常に意識していた。ネクストバッターズサークルでは、投手のどの球を、どこに打って、どうやって喜びを表現して、お立ち台で何て言うかまで、事細かにイメージしていたっていうからね」(角氏)
2大スターの偉大なる伝説は、これからも続く!
【画像】2大ヒーロー「伝説の名&珍場面」リスト