明治天皇も怒るレベル!日本の初代総理大臣・伊藤博文の女遊びが激しすぎた

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明治天皇も怒るレベル!日本の初代総理大臣・伊藤博文の女遊びが激しすぎた

伊藤博文は、誰もがその名前を知っている人物ではないでしょうか。1885年には初代内閣総理大臣となり、そのあと何度も日本のトップを務めた人物です。

そのほか、貨幣法の制定や鉄道の発展・女子教育の普及にも尽力するなど、功績を上げればきりがありません。

しかし、そんな伊藤博文ですが、大の女性好きだったことでも有名です。そこで今回の記事では、伊藤博文の女性にまつわる驚きのエピソードをいくつかご紹介します。

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大の女性好きで知られた伊藤博文についたあだ名は……

伊藤博文(Wikipediaより)

伊藤博文の女性好きを象徴するのが、彼についたあだ名。それは「ほうき」というものでした。これは、「掃いて捨てるほど女性がいる」という意味。または「女を掃いては捨て、掃いては捨てを繰り返していたから」とも言われます。

「1000人もの女性と関係を持った」と豪語したり、「金もいらなければ家もいらない。ただ女遊びができればいいのだ」と言ったとも言われています。

また、メディアは伊藤博文の女性関係を取り上げ『恋の伊藤博文』(1902年)という本も出版されています。

イギリス留学から帰国されそうに

伊藤博文は、井上馨らとともに、1863年に藩の命令でイギリスに留学しています。彼の高い英語力を身につけたきっかけともなったこの留学ですが、女遊びも盛んだったようです。

伊藤博文には、調査の目的でほかの留学生よりも多くの資金が準備されていました。しかし、彼はそのお金をつかって現地の色街(風俗街のような場所)に入り浸っていたとか。

あまりに彼の度が過ぎたため、留学生のあいだでも問題となり、伊藤はイギリスから帰国されそうになります。この大ピンチを救ってくれたのが井上馨でした。彼が仲介に入り、なんとか事なきを得ています。

芸者遊びがやめられない

料理やの娘や人妻などとも関係を持ったとされる伊藤博文ですが、特に芸者遊びがやめられなかったそうです。

たとえば、40度の高熱が出たときも両脇に芸者をはべらせていたというエピソードや、日清戦争の講和の途中、清の李鴻章が狙撃されたという報告を受けたときも芸者と過ごしていたという話もあります。

明治天皇からも怒られた

伊藤博文の女性好きは大変有名で、なんと明治天皇の耳にまで入り、いさめられたこともあります。

明治天皇から「女漁りが激しすぎるのではないか」「もう少しおとなしくしてはどうか」とお咎めを受けます。しかし伊藤博文は、「公の芸者を公に呼ぶまでです」と堂々と言い放ちます。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

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