【最終回予習】本当に色々(1616年)あったね…徳川家康の死から「神の君」となるまで【どうする家康】 (3/4ページ)
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※『東照宮御実紀』巻十 慶長十年四月「家康薨」
【意訳】もう年も積もっていた家康は日ごとに衰弱していき、4月17日の巳刻(午前10:00ごろ)に駿府城で神去られた(亡くなった)のでした。享年は70余り5歳。
将軍(嫡男・徳川秀忠)が嘆き悲しんだのは言うまでもなく、公家も武家も、およそ四海の内で嘆き悲しまなかった者はいなかったそうです。
家康の亡骸はその夜に久能山へ安置され、神として崇め奉られたと言います。
年が明けて元和3年(1617年)2月21日、朝廷より東照大権現の神号が勅命として贈られ、3月9日には正一位を贈られました。
その後、家康の遺言どおり亡骸を日光に移し、4月16日に鎮座。ちょうど死後1年となる4月17日に祭礼が執り行われ、朝廷より宣命使や奉幣使が参向したそうです。
やがて年月が流れて正保2年(1645年)11月3日に朝廷から東照宮の宮号が贈られ、翌年4月からは毎年絶えず勅使(例幣使)が参向するようになったのでした。