実は日本独自の行事だった「忘年会」、始まったのは明治時代から

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実は日本独自の行事だった「忘年会」、始まったのは明治時代から

すっかり忘年会の時期がやってきました。ところで、この「忘年会」、実は日本独自の行事だったのです。

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英語にも、ヨーロッパの言語にも「忘年会」にあたる単語はなく、欧米では特に年末だからといって、大騒ぎする習慣もありません。せいぜいカウントダウンするときに盛り上がるくらいです。

一方で、日本で鎌倉時代頃から「年忘れ」と呼ばれる会が年末に催されていたようです。ただ、この会は連歌を行うような優雅な式典で、どんちゃん騒ぎをする現代の忘年会のイメージは、全然違います。

そして、江戸時代には庶民の間で、年末に1年間の苦しみを忘れて、楽しく飲もうという趣旨の会が、度々開かれるようになりました。その背景には、親しいもの同士が酒を組み交わして1年の憂さをはらせば、旧年中の厄を落とすことができるという考え方があったようです。

その一方で、武士は新年会を開いていたため、この時期には「歳忘れ」は行われませんでした。

現在のような忘年会が、年中行事のようになってきたのは、明治時代以降のこと。

最初に忘年会を開いたのは、東京に集まっていた学生と官僚たちでした。学生たちは年の初めは郷里に帰省しているため、友人同士では集まりにくい。そこで、暮れのうちに飲み会を開くようになっていったのです。

また、官僚の方はボーナスがでるようになっていたこともあって、年の暮れに仕事納めの意味を含めてみんなで飲もうということになったようです。学生と官僚という当時のエリート層がはじめたこともあって、忘年会は、次第に新しい年中行事として定着していきました。

一方、1905(明治38)年頃に書かれた夏目漱石の『吾輩は猫である』では、「向島の知人の家で忘年会兼合奏会がありまして」という記述があり、これが小説の中で「忘年会」という言葉が使われた最初の事例のようです。

「忘年会」という言葉について、特別な注釈もなく登場してくることから、この頃には一般的な言葉になっていたようです。

参考

佐藤喜代治編『暮らしことばの辞典』  (1985 講談社) 清水秀晃 『日本語語源辞典 : 日本語の誕生』(1984 現代出版) 夏目漱石『吾輩は猫である』青空文庫 (底本 『夏目漱石全集』1 (1987 筑摩書房)

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