まさかの自作自演!?実母・義姫による伊達政宗 毒殺未遂事件、実は捏造されたものだった? (2/2ページ)

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伊達政宗毒殺未遂事件の背景とその後

実母による息子の毒殺未遂事件と聞くと穏やかではありませんが、これにはどのような背景があったのでしょうか?

この事件は義姫の単独計画ではなく、彼女の兄である最上義光にそそのかされたものだと考えられていました。

最上義光は義姫が溺愛していた伊達政宗の弟・小次郎を跡継ぎにすれば豊臣秀吉の怒り(事件の前年に伊達政宗は会津を平定しており、それが秀吉の怒りの原因に)も収まるだろうと彼女に言ったと言われています。

事件後、伊達政宗は弟・小次郎と小次郎の傅役を手討ちにします。母・義姫は実家である最上家へ逃げ帰ったと言われています。

伊達政宗毒殺未遂事件の真相は?

ここまでご紹介してきた内容が毒殺未遂事件の通説でしたが、最近ではさまざまな証拠から、この事件が作られたもの(捏造)ではないかと考えられるようになってきています。

例えば、母「義姫」の出奔の日が事件の約4年半後だったということが、政宗の師であった禅師(虎哉宗乙和尚(こさいそういつおしょう))の手紙にしっかりと書かれています。

また、事件が起きたとされる後も、伊達政宗と義姫は手紙で仲の良いやり取りを行っています。伊達政宗の朝鮮出兵の際には、義姫は和歌とお小遣いを送っています。

事件が捏造された理由についても様々な説があります。例えば反政宗派一掃のための狂言説。また、家臣たちを団結させるための自作自演説。後者の説によると、弟・小次郎は手討ちしたことにして、実は大悲願寺に匿ってもらったというあらましになります。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

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