日本人で初めて洋髪をしたのはあの人物!日本人の男性がチョンマゲから洋髪になるまで
日本人で初めて洋髪をした人物は、ジョン万次郎こと中浜万次郎といわれています。
彼は、1841(天保12)年に、漁に出て漂流したところをアメリカの船に救われ、1851(嘉永4)年に帰国し、その後土佐藩、幕府と仕え、翻訳・航海・測量・英語の教師などをしていました。この頃には既に洋髪だったと伝えられています。
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170年以上も続く友情!今も深まるジョン万次郎と彼を救ったホイットフィールド船長の交流 江戸時代に日米の懸け橋となったジョン万次郎、帰国後のその後の人生とは…?(1)維新前夜になると、各藩の武士たちも積極的に洋髪にしていったようです。武力で外国に劣ることを痛感した各藩が洋式の教練をとり入れた影響だとされています。
髷を切って、月代(さかやき)をそらないで、頭髪をうしろへなでつけて結ばず、切り下げたままにした髪形のことを、「散髪」「散切り」「斬切り」などと呼んでいたのでした。
1871(明治4)年には、前述の散髪令が出されました。当時、欧米人にとって、日本人の髷が奇異にみられてたので、これを廃して欧米御同様にし、欧米列強と並ぼうとしたものでした。
法令では、散髪は個人の自由意志とされましたが、どちらかというと政府がこれを奨励しました。政府高官は、法令に先立って一斉に散髪をしています。1873(明治6)年には、天皇みずからが散髪し、洋髪を奨励しました。
当時の流行歌に「散切り頭の唄」というものがあります。
‟半髪アタマを叩いてみれば、隠遁姑息の音がする
総髪アタマを叩いてみれば、王政復古の音がする
散切りアタマを叩いてみれば、文明開化の音がする”
※隠遁姑息:古い習慣ややり方にとらわれて改めようとせず、その場しのぎに終始するさま
また、当時の新聞上には、‶粋な散髪、嫌みな茶筅(ちゃせん)、髷のあるのは野蛮人”という俗謡も掲載されたりしたようです。
どうやら、男の人の立場や主義が、髪型によって象徴されているようにみられていたようです。
1877(明治10)年頃には、若い世代から、徐々に散髪が普及しましたが、それまでずっと髷を結っていたため、洋風にした髪をわけたり寝かせたりすることが困難だったと、当時来日していたアメリカ人動物学者、エドワード・シルヴェスター・モースも『日本その日その日』の中で、述べています。
それでも、文明開化の斬切り頭は増え続け、1880年代後半には、大半の男性が髷を切り落としていたようです。
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