大砲ぶっ放し天守閣に命中!「大坂の陣」で活躍した徳川軍の砲術師・渡辺三郎太郎とは何者か?

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大砲ぶっ放し天守閣に命中!「大坂の陣」で活躍した徳川軍の砲術師・渡辺三郎太郎とは何者か?

「放てーっ!」

時は慶長19年(1614年)、徳川家康が豊臣秀頼を討伐するべく兵を挙げた「大坂冬の陣」。

亡き豊臣秀吉が築き上げた天下の名城・大坂城は堅牢無比にして難攻不落、なかなか攻め切れませんでした。

そこで業を煮やした家康は、大坂城内へ向けて大砲を撃ち込んだと言います。

多くが南蛮から輸入したそうですが、中には国産の大砲もあったとか。

今回は日本の国産大砲を製造した徳川軍の砲術師・渡辺三郎太郎(わたなべ さぶろうたろう)を紹介。果たして彼は、どんな人物だったのでしょうか?

九州・豊後の大友宗麟に仕える

渡辺三郎太郎に砲術を学ばせた大友宗麟。結果はともかく、先見の明があった模様(画像:Wikipedia)

渡辺三郎太郎は生年不詳、豊後国(現:大分県)の戦国大名・大友宗麟に仕えていました。

三郎太郎という名前は通称で「三郎さんとこの太郎」という意味です。諱(いみな。実名)は分かっていません。

出自についてもよく分かっていませんが、嵯峨源氏(渡辺綱ら)の末裔ではないでしょうか。

さて、この三郎太郎は主君の命で唐入り(大陸・明王朝へ渡航)し、石火矢の製造と射撃法を学んできました。

石火矢というのは火薬を用いた原始的なロケット弾のこと。開発初期はロケット花火くらいの威力(虚仮威し?)しかなかったようですが、次第に殺傷能力が高まり、また大砲へと発達していきました。

ここで言う石火矢とは、大砲など重火器全般を指します。すっかり砲術を学んだ三郎太郎ですが、肝心の大友宗麟が薩摩国(現:鹿児島県西部)の島津義久に滅ぼされてきまいました。

砲術の腕前を評価されて徳川家康に再仕官

石火矢を使う者たち(画像:Wikipedia)

主君の没落に従うように三郎太郎は出家し、宗覚(そうがく)と称します。流浪の末に豊後国の府内城主・早川主馬に保護され、無聊をかこちていました。

「渡辺殿の砲術を、このまま朽ちさせるのはまことに惜しい。これは徳川殿へ紹介しよう」

という訳で、早川主馬は宗覚父子を徳川家康へ引き合わせます。

強力な砲術を目の当たりにした家康はさっそく宗覚を取り立てて、たびたび御用を命じたのでした。

慶長5年(1600年)に家康が石田三成らと争った関ヶ原の合戦でも大砲を用いていますから、宗覚の砲術が活躍したのかも知れませんね。

そして大坂冬の陣では、冒頭のごとく大砲が大活躍です。

城内深くは届かずとも、轟音で豊臣方の心身を参らせようと思っていたところ、まぐれの一発が天守閣に当たって淀殿(秀頼母。茶々)を震え上がらせたとか。

これが豊臣方の戦意を削ぎ、講和につながったとの説もありますから、大殊勲と言えるでしょう。

翌慶長20・1615年の大坂夏の陣でも宗覚の大砲は火を噴いたようで、合戦は大勝利。ついに豊臣家を滅ぼしたのでした。

終わりに

砲撃を受ける大坂城(イメージ)

……渡辺三郎太郎といふは。元豊後の大友が家人なるが。大友の命にて入唐し。石火箭の製作をよび放し様をならひ心得て帰国しけるが。大友亡て後は三郎太郎も流落し宗覚と改名し。同国府内の城主早川主馬が方に寓居してありしを。主馬よりかの石火箭を御覧に入しかば。こは軍用にかくべからざるものなりとて。宗覚父子を召出され。度々御用を仰付られ。殊に大坂冬の役には。駿府へめし石火箭調して奉り。夏の役にも供奉し。落城の後城中にて焼し銅鉄の類を。ひとつに吹まとめて奉り。後年に至り領邑を賜はり。世々この御用奉る事となりぬ。(貞享書上。)……

※『東照宮御実紀附録』巻二十四「制作大砲」

以上、徳川家康に仕えた砲術師・渡辺三郎太郎のエピソードを紹介してきました。

その後、渡辺父子がどうなったのか、子孫たちがどうなったかについては改めて調べたいと思います。

【渡辺三郎太郎・基本データ】
生没年不詳
改名 幼名不明→三郎太郎(通称)→宗覚(法名)
両親 父親:渡辺某(三郎?)/母親:不明
家族 息子の存在が確認できる
主君 大友宗麟→早川主馬→徳川家康
所領 不明
特技 砲術

徳川家康の天下取りを支えたのは、ただ前線で戦う勇士ばかりでもなければ、後方で事務をとる能吏ばかりでもありませんでした。

様々な特殊技能をもって活躍した家臣たちのエピソードも、また紹介できたら嬉しいです。

※参考文献:

『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション砲術

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