実はいまだ不明「紫式部はいつ生まれたのか?」さまざまな学説と大河ドラマ『光る君へ』の設定検証【前編】 (2/3ページ)
大河ドラマ「光る君へ」の主人公・紫式部は本名ではなかった!では本当の名前は……?【前編】
これには致し方のない理由もあります、よっぽど高位の人でない限り、当時の女性は生年・没年が記録に残らないのが普通なのです。紫式部の本名が不明のままなのも、それが大きな理由です。
そこで今回は「紫式部は何年生まれなのか」というテーマで、さまざまな学説を紹介しましょう。
※合わせて読みたい!
紫式部の生年を確定する際の重要な手掛かりが、『紫式部日記』です。これは本人の手になる日記です。中宮・彰子の女房だった彼女が、1008年から1010年にかけて、自分の生い立ちや宮中での出来事を書いたものです。
この書物は紫式部の人となりを知る上で第一級の史料だと言えるでしょう。