日本初の従軍記者はマルチ・プレイヤー。実業家、教育者としても活躍した岸田吟香(ぎんこう)とは【前編】 (2/2ページ)

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吟香の記事は評判だったようで、翌71年、日本が台湾に出兵することが決まると、西郷従道の率いる軍隊に従って、取材に赴きました。これが、日本における初めての従軍記者です。

『台湾従軍記』を連載、読者の好評を博しますが、6500人の日本兵は、戦果をあげる前にマラリアに感染して立ち往生となってしまい、華々しい記事というわけにはいかなかったようです。

「精錡水」はこの頃、「東京日日新聞」の紙面に新聞広告をうち、大いに売り上げに向上します。これは新聞広告の商業的活用の嚆矢となりました。

吟香は帰国すると新聞事業から退き、1877年8月に「東京日日新聞」の発行所である日報社を退社して9月銀座に楽善堂という店を開き、売薬業に専念するようになります。

次回、【後編】につづきます。

参考

杉山栄『先駆者 岸田吟香』(1952 岸田吟香顕彰会) 杉浦正『岸田吟香:資料から見たその一生』(1996  汲古書院) 秋山勇造 『明治のジャーナリズム精神』 (2002 五月書房)

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