「この子が男に生まれていれば…」父・藤原為時を嘆かせた、幼少期の紫式部の天才エピソード【光る君へ】
インテリの家系と為時の出世
大河ドラマ『光る君へ』で話題沸騰中の紫式部ですが、その家系は藤原鎌足・藤原不比等から始まる藤原一族に連なるもので、大変高貴な家系だったと言えるでしょう。
しかも、彼女の先代・先々代の血筋だけを見ても、代々歌人や役人として活躍した人ばかり。つまり紫式部は、高貴なインテリの家の生まれだったのです。
後に『源氏物語』を記すことになったのも、もっともな話でした。
そんな中で、彼女の才能の片鱗を伺わせるエピソードがあります。
紫式部の生まれた年については諸説ありますが、さしあたり彼女が八歳くらいだったと思われる977年には、父の藤原為時が読書始の儀における副字読というポジションに就いています。
読書始の儀とは、皇太子が、毎年最初に勉強をする時に撮り行う儀式のこと。副字読は、その儀式で皇太子に勉強を教える「字読」というポジションの副官にあたります。
もともと為時は学者肌の人だったと言われており、彼にとってこのポジションを獲得したのは大変名誉なことでした。当時の紫式部も、子供なりに父の出世が素晴らしいものだと感じていたようです。
為時が、当時の皇太子である師貞親王の御殿へ、しょっちゅう出入りするようになったのはこの時からです。そして彼は、皇太子の近習(主君のそば近く仕える家来)たちと親交を深めていきました。
「男にて持たらぬこそ幸なかりけれ」さて、紫式部が小さい頃から突出した才能を持っていたことを伺わせるエピソードがあります。それは為時が副字読に就任してから数年後のことでした。
おそらくこの時、彼女は十一歳くらいだったと思われます。『紫式部日記』に、その内容が記されています。
それによると、紫式部の弟である藤原惟規に、父の為時が中国の書籍(漢籍)を読ませていた時のことでした。
この時、惟規は書籍の内容がなかなか理解できず、覚えられずにいました。しかし、横でその内容を聞いていた紫式部は、弟よりも先にその内容を習得してしまったのです。
このことに気付いた為時は、何せ学問教育に熱心だったものですから、こう嘆いたといいます。
口惜しう 男にて持たらぬこそ幸なかりけれ
口語訳すると、「残念だ。この子が男でなかったことが不幸というものだ」となるでしょうか。
本来なら、家督を継ぐはずの長男・惟規にこそ、為時は学問を修めてほしかったのでしょう。それだけに、姉の紫式部の頭の良さを口惜しく思っていたのです。
もちろん、惟規も無能だったわけではありません。彼はその後、父の足跡をたどるようにして大学寮で文章生になり、式部省の役人である式部丞や、天皇の秘書官のようなポジションである六位蔵人も務めました。彼もまた非常に優秀な官僚だったのです。
この頃は、家庭教育は七歳頃から行われるのが常でした。よって姉弟の年齢差はそのまま学才の差となっていたのでしょう。
参考資料:
歴史探求楽会・編『源氏物語と紫式部 ドラマが10倍楽しくなる本』(プレジデント社・2023年)
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