紫式部、実は母に次ぎ姉も亡くしていた…その悲しみを癒すため文通した一人の女性がいた【光る君へ】 (2/3ページ)

Japaaan

文通相手との出会い

993年頃の天然痘の大流行は、日本史上最悪のものと言われています。

もともと天然痘は中国から持ち込まれたといわれていますが。これに罹患すると高熱や発疹などの症状が出て、そのまま命を落とすことも珍しくありませんでした。

日本書紀にも記録が。人類が根絶に成功した感染症「天然痘」と日本人の歴史

天然痘には貧富の差に関係なくあらゆる身分の人がかかっており、天皇や摂関家、富裕層や僧侶にも罹患した人が大勢います。

これによって多くの人が亡くなっているので、式部の姉が罹患したとしても不思議ではないでしょう。

ところで、紫式部のほぼ全生涯にわたる歌と詞書が収録されている『紫式部集』からは、姉を失った式部が、その悲しみをどのように癒したのかが読み取れます。

それによると彼女は、妹を亡くした別の女性と知り合います。そして二人は、これからお互いに亡くなった姉と妹のかわりとなっていきましょう……と誓い合っているのです。

その後、二人は誓い通り心の傷を癒し合う関係になります。式部は「姉君」とあて名書きした手紙を彼女へ送り、一方の彼女の方は、妹を意味する「中の君」と書いた手紙を式部に送るようになりました。

こうして二人は文通を続けたのです。

「雁の翼に言伝てよ」……

しかしこの二人にも別れの時が訪れました。

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