紫式部、実は母に次ぎ姉も亡くしていた…その悲しみを癒すため文通した一人の女性がいた【光る君へ】 (3/3ページ)

Japaaan

姉君と呼ばれた女性の方は肥前(佐賀県・長崎県)へ、そして式部は越前(福井県北東部)へ、それぞれ引っ越すことになったのです。

この時の別離を嘆き、紫式部は次のような歌を詠みました。

 北へ行く 雁の翼に言伝てよ 雲の上がき かき絶えずして

現代語訳すると、「北へ向かっていく雁の翼に言づてして下さい。雁が雲の上で羽ばたいていくように、私への手紙を絶やさないで」とでもなるでしょうか。

アオハクガン

二人は、その後もしばらく手紙のやり取りを続けました。少し前ならペンフレンドという言い方になるでしょうが、今だったらきっとメールやラインでのやり取りを続けていたのでしょう。

参考資料:
歴史探求楽会・編『源氏物語と紫式部 ドラマが10倍楽しくなる本』(プレジデント社・2023年)

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「紫式部、実は母に次ぎ姉も亡くしていた…その悲しみを癒すため文通した一人の女性がいた【光る君へ】」のページです。デイリーニュースオンラインは、光る君へ紫式部平安時代大河ドラマカルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る