ビートたけし、北島三郎、勝新太郎…昭和の大物芸人「爆笑武勇伝」30連発!コンプライアンスだらけの令和6年をぶっ飛ばす!

日刊大衆

ビートたけし
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 口を開けば“○○ハラ”と言われ、どうにも息苦しいこの時代。人間味あふれる素顔を見せた男たちの無頼控。

 昨年11月、新作映画『首』の公開を控えていた監督の北野武ことビートたけし(76)が、記者会見で久々に“毒ガス”を放った。

「冒頭、性加害問題が報じられているジャニーズ事務所の創業者の故・ジャニー喜多川氏をもじって、“初めまして、ジャニー北野川です”とあいさつしたんです。記者たちは、あっけに取られていました」(スポーツ紙記者)

 何かとコンプライアンスが叫ばれる令和の時代は、芸能人の言動にも厳しい目が注がれる。だが、昭和から平成にかけての芸能界はもっと、おおらかだった。

 そこで今回は、新年の“初笑い”にもってこいの、レジェンドたちの痛快な武勇伝を探ってみよう(以下、一部=敬称略)。

■吉村崇や明石家さんま愛車を破壊

 まずは、その手の常習犯とも言える、たけしから。

「2015年7月に放送された『FNS27時間テレビ』(フジテレビ系)で、『平成ノブシコブシ』の二人が、笑いのために吉村崇の愛車であるBMWを破壊して、騒動になりました。その元ネタは、1991年の同番組で、たけしが車庫入れと称して、明石家さんまの愛車・レンジローバーをボコボコにしたことなんです」(番組製作関係者)

 芸能レポーターの城下尊之氏は言う。

「たけしさんだから許されたという側面も、あったでしょう。僕らレポーターの前で突然、“放送禁止用語しりとり〜”と言って、テレビで放送できない、活字にもできない言葉を並べたこともありました。さすがに、それは、どこも報じなかったですね(笑)」(前同)

■コマネチ!はせんだみつおが3万円で売ったギャグ

 怖いもの知らずのたけしだが、タレントのせんだみつおは、意外なエピソードを明かす。

「あの時代、芸人同士はパクリ合戦でした。たけしの代表ギャグのようにいわれている“コマネチ!”は、実は私が3万円で売ったネタなんです、ナハナハ」

 3万円の原価で、ずいぶん稼いだものだ。

■“適当キャラ”を開花させた高田純次

 そんなたけしが司会を務めた『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ系)で、“適当キャラ”を開花させたのが高田純次(76)だ。

 伝説になったのが、喜劇女優の清川虹子の自宅を訪問したときのエピソード。

「宝石鑑定士の資格を持つ高田が、時価3000万円という清川自慢の指輪を品定めする企画だったんですが、高田は清川の目の前で、指輪をパクリと口に入れたんです。指輪は高田が噛んでいたガムに絡みついてベトベト。怒った清川は、高田さんの頬を本気で叩いていました」(元スポーツ紙記者)

■要注意人物、笑福亭鶴瓶

 要注意人物では、笑福亭鶴瓶(72)も外せない。

「75年、『独占!男の時間』(テレビ東京系)のリハーサルで披露したギャグを、プロデューサーが酷評。それが許せなかった鶴瓶は、生放送の本番中に局部を見せ、カメラに股間を押しつけたんです」(前同)

 当然、鶴瓶は番組をクビになったが、

「2年後の番組最終回に、司会の山城新伍さんの計らいで出演が許されたんですが、山城さんは“今日で、この番組も終わりやしな。何をやってもかめへん”と焚きつけたんです」(同)

 絶好のチャンスを逃す鶴瓶ではない。
「再びカメラの前で局部を見せ、スタジオから脱走。その勢いで局内にあった池に飛び込むと、同局の社長が大切に育てていた、時価数百万円の錦鯉を踏み潰したんです」(同)

 鶴瓶が、その後しばらく同局を出入り禁止になったのも、やむを得ないだろう。

 鶴瓶は、大御所になった2003年にも『27時間テレビ』で泥酔して、浴衣からイチモツを覗かせた。地上波で局部露出3回は今後、破られない“チン記録”でしょうね」(同)

■立川志らくの師匠、立川談志

 昨年11月に刊行され、弟子の立川志らくが思い出をつづった『師匠』(集英社)が評判の立川談志(享年)も、逸話を残している。

「71年、参院全国区で当選した談志は、75年に沖縄開発庁政務次官に就任。その後、沖縄海洋博を視察した際、二日酔いで会見に出席したんです。“公務と酒、どちらが大切なんだ”と追及した記者に“酒に決まってんだろ”と言い放ち、わずか1か月で辞任しました」(芸能記者)

■林家三平やケーシー高峰も

 噺家では“昭和の爆笑王”こと初代の林家三平(享年)も忘れられない。

「人を笑わせるのが大好きだった三平。病床で意識が混濁したときに、医師から“しっかりしてください、あなたのお名前は?”と声をかけられて“加山雄三です”と答えたとか」(前同)

 正月の演芸番組に欠かせない存在だったケーシー高峰(享年85)も、サービス精神の塊だった。

「タクシーの運転手に“近くて悪いんだけど、尖閣諸島まで行って”。舌がんを手術した医師に“タンキューベリーマッチ”。いつも、そんな調子でした」(同)

■演歌の大御所に!

 一方、歌謡界の大物である北島三郎(87)は、意外な人物を引きつけた。

「北島が敷地面積1500坪、総工費20億円、“サブロウ”の語呂合わせで36部屋ある豪邸を、八王子に建てたときのことです。北島のもとを訪れたのは、それまで住んでいた中野の区長。屈指の高額納税者だった彼を、“どうか我が区に留まってください”と引き止めにかかったとか」(前出の元スポーツ紙記者)

■豪快な日本映画界のレジェンド

 日本映画界のレジェンドにも、豪快な逸話は多い。その筆頭は、勝新太郎(享年65)だろう。

「“世界のクロサワ”こと黒澤明が監督する映画『影武者』(80年)を、2人の意見が衝突して降板したときのことです。勝新は周囲に、“私服だったら謝っていたかもしれない。でも、俺は信玄なんだ。武田信玄に黒澤明が何を言う”と笑っていたそうです」(元映画誌記者)

 豪放な印象の強い勝新だが、前出の城下氏は取材後、銀座のクラブで酒をおごってもらったという。

「僕は酒を飲むと、すぐに顔が赤くなるんですが、勝さんはトイレに立つとき、小声で“無理しないで、自分のペースで飲めばいいんだからね”と囁ささやいてくれました」

 豪快と繊細さを兼ね備えていたのが、誰からも愛される秘訣だったのだろう。

■1年で“千人斬り”の大物俳優、松方弘樹

 愛されるといえば、女がらみの武勇伝に事欠かないのが松方弘樹(享年74)だ。

「17歳で俳優デビューした松方は、18歳でハワイに行き、高級コールガールを買ったことを告白しています。

 力道山の愛人に手を出した噂もありますが、当時の松方さんはまだ20歳くらい。もし、バレていたら、命はなかったでしょうね」(前出の元映画誌記者)

 また、巷間伝えられる“千人斬り”について聞かれた松方は、あっさり否定した。

「なんと、一生かけて1000人ではなく、年間に1000人だったそうです。冷静に計算すれば、毎日3人ですね」(前同)

■梅宮辰夫もは負けていない

 本誌連載でもおなじみだった梅宮辰夫(享年81)も、色ごとでは負けていない。

「銀座のホステスと浮き名を馳せた梅宮ですが、風俗も好きだった。足にギプスを着けるほどの大ケガで入院したときも、山城新伍に誘われて、病院を抜け出してソープに出かけています」(同)

 悪友の2人は、不思議な縁でも結ばれていた。

「梅宮が新人女優の芸名の名づけ親となり、そのお礼として、1回だけエッチさせてもらったところ、性病に感染したそうです。

 しばらくして、山城も同じ病気にかかっていると判明。梅宮が問い詰めたところ、山城は件の新人に“僕も一緒に芸名を考えたんだ”と偽り、おすそ分けにあずかっていたとか」(同)

 大物たちの武勇伝にパワーをもらって、令和6年も元気に過ごそう。

【画像】まだある!昭和の大物芸能人「爆笑武勇伝」リスト

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