やはり有能だった将軍・徳川慶喜!第二次長州征伐が失敗しても江戸幕府が権威失墜を免れた理由 (2/4ページ)
しかしその始末はご存じの通りで、最新兵器で武装した長州軍に惨敗するという結果になりました。しかも、長州の軍勢はわずか3千5百人だったのです。
さらに、幕府軍の最高指揮官だった徳川家茂が病死したことで、撤退せざるを得なくなりました。
さすがに15万対3千5百の大差があったにもかかわらず惨敗したのですから、幕府の権威が低下しないはずがありません。しかしそれは、決定的なものではありませんでした。
なぜならこの失敗を踏まえ、幕府では急ピッチで改革が進められていったからです。むしろ第二次長州征伐後、幕府の権威は回復基調にあったと言っても過言ではありません。
徳川慶喜による軍備・軍制改革この、長州征伐の敗北後に将軍職に就いたのが徳川慶喜です。幕府の権威回復のために、彼はさまざまな改革を実行しました。特に力を注いだのが軍備・軍制改革です。
実は徳川幕府は、すでに1862年(文久2年)から近代的・西洋的な軍備を整えていました。ただその動きはゆっくりしており、兵士もいまいち頼りない感じだったのです。