やはり有能だった将軍・徳川慶喜!第二次長州征伐が失敗しても江戸幕府が権威失墜を免れた理由 (3/4ページ)
1865年時点の幕府軍。第二次長州征伐よりも前から西洋式の軍装が取り入れられていたのが分かる(Wikipediaより)
そこで、慶喜が軍備改革のために助力を求めたのがフランスです。もともと親しい関係にあったフランスから、幕府は近代兵器の輸入を進めていきました。
それだけではなく、フランス公使のロッシュを通してフランスの軍人を教官として雇い入れ、兵士の装備も昔ながらの鎧兜から洋風の軍服へと変えました。ちなみにフランス公使のロッシュは、長州征伐の際も幕府に援助を行っています。
さらに横浜に伝習所を設立すると、西洋式の訓練もスタートさせました。
戊辰戦争での敗北また、慶喜が軍制改革のためにメスを入れたのはそれだけではありません。彼は軍役制度も大きく見直し、戦闘部隊~将軍の親衛隊を銃隊へと再編します。そして幹部養成のための士官学校を創設すると、旗本たちから志願者を募りました。