苦労を共にした妻を捨てるような男には呪いを…花山天皇の側近・藤原惟成(演 吉田亮)の生涯をたどる【光る君へ】 (2/3ページ)

Japaaan

五位という貴族としては中堅クラスでありながら、国政を大きく動かす様子に、人々は「五位摂政(五位なのに、摂政のごとく権勢を振るっている)」とあだ名されたとか。

しかし寛和2年(986年)に花山天皇が藤原道兼(ミチカネ)に騙されて出家。寵愛していた藤原忯子(しし/よしこ)を昨年に喪い、悲嘆に暮れていたためと言われます。

このいわゆる「寛和の変」で権力の座から転げ落ちた藤原惟成は、花山天皇の後を追って出家したのでした。

そして永祚元年(989年)11月1日、藤原惟成は37歳でこの世を去ります。

糟糠の妻を捨てた報いは……

托鉢僧となった惟成(イメージ)

藤原惟成と言えば糟糠の妻がいたことで知られています。

まだ惟成が貧しかったころ、彼女は何とか夫を出世させようと必死にやりくりしました。

時には自分の髪をバッサリ切って金に換え、それで料理を用意して自分は女中のように振舞ったそうです。

かくして永年の苦労が報われ、惟成が花山天皇の側近として、大出世を遂げました。

いやはやこれでめでたしめでたし……かと思ったらさにあらず。

惟成はあろう事か糟糠の妻を捨てて、源満仲(みつなか)に婿入りしてしまうのです。

これにはさすがの妻も怒り狂い、貴船神社に百日参りの呪いをかけたのでした。

「帰命頂礼貴船大明神。どうかヤツを死なせないで下さい。乞食と落ちぶれさせ、生き地獄を見せてやって下さい!」

果たして惟成は出家して托鉢僧となり、物乞いをしながら糊口をしのぐ日々を送ることとなるのです。

「ざまを見さらせ、天罰じゃ!」

鬼の首をとったかのごとくやってきた元妻。

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