出家しても女性問題…花山天皇(法皇)、藤原忯子の妹に恋をし通っていたことがバレて襲撃される「長徳の変」 (2/2ページ)

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藤原道長が政治の中心へと移るきっかけのひとつともなったこの政変、いったいどのようなものだったのでしょうか?

寵愛していた女性の妹の元へ通う花山法皇

月岡芳年「花山寺の月」

花山法皇は、天皇だったときに藤原忯子(よしこ)という女性を寵愛していました。しかし彼女は急逝。天皇は出家しますが、その後、忯子の妹にあたる四の君に恋をします。

密かに通っていた花山法皇ですが、藤原伊周(これちか:道長の兄・藤原道隆の息子)も四の君と同じ家に住む三の君のもとへ通っていました。

伊周は、花山法皇が自分が愛する三の君のもとへ通っているのだと誤解し、弟の隆家に相談します。

ちなみに、三の君はとても美しい女性だったといいます。伊周が勘違いしてしまうのも、無理はなかったのかもしれませんね。

花山法皇を襲撃!

伊周と隆家は花山法皇を襲撃します。矢の一本は法王の衣の袖を射ぬいてしまいます。ちなみに、『百錬抄』には、法皇の従者の童子二人を殺して首を持ち去ったという話もあります。

藤原道長、ライバルを蹴落とすチャンス!

この事件を受けて、花山法皇が激怒するかと思いきや、女通いが露見してしまうこと、そして恐怖を理由として、口をつぐみました。しかし、事件の噂は広まります。これを上手く利用したのが藤原道長だと言われています。伊周と道長はライバル同士でした。

隆家は出雲権守に左遷、伊周は大宰権帥に左遷されました。どちらも実質的な配流といえます。彼らに関係する人物が次々と処罰されていきます。ちなみに、伊周の妹・藤原定子の落飾の遠因ともなりました。

伊周らは都に戻ってきますが、彼らが権力を握ることはありませんでした。これら一連の事件は長徳の変と呼ばれ、以降、藤原道長が政治の中心に移るきっかけのひとつともなりました。

ちなみに、花山法皇に愛された四の君はその後、藤原道長の次女・妍子に仕えたのち、道長の妾となっています。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

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