10年ぶりの再就職!しかし…なぜ紫式部の父・藤原為時は任官に抗議したのか?【光る君へ】
師貞親王(花山天皇)の教育係であったおかげで、六位蔵人・式部の丞となれた藤原為時(紫式部の父)。
しかし我が世の春は短く、花山天皇が出家してしまうと、再び無職に逆戻り。その後10年間も不遇をかこつのでした。
原因はクーデター…紫式部(まひろ)の父・藤原為時の短すぎる栄華と権力争いに巻き込まれた悲劇【前編】長い長い冬の末、ようやく春がめぐって来ます。国司の辞令が下った為時。しかしその顔は実に不満げでした。
いったい、どうしてなのでしょうか。
血の涙を流して抗議?「納得いきませぬ!」
国司の辞令を握りしめ、為時は大いに憤慨していました。
実は国司と言っても、淡路守だったのです。現代の兵庫県淡路島ですね。当時、淡路国はとても貧しく、豊かな暮らしは望めませんでした。
だから為時は不満だったのですが、それなら今年も無職のままだった方がよかったと言うのでしょうか。
いやいや、そういう問題ではないのだ!とばかり、為時は抗議の手紙を書きました。
「私が寒い夜も必死に耐えて勉学に励み、血の涙を流してきた日々をご存じでしょうか。努力が報われず、今はただ呆然と空を見上げるばかりです」
……なんてことを漢詩にしたためたとか。まったく、文句一つ言うにも仰々しいったら、実にめんどくさいインテリですね。
普通、こんなモノはクシャポイ(紙を丸めて捨てる≒無視)か、何なら任官自体を取り消されかねません。
個々の不満をいちいち聞き入れていたら、人事制度自体がたち行かなくってしまうからです。
しかし時の一条天皇は為時をよほど哀れに思ったのか、藤原道長に打診したのでした。
ゴネ得が通って喜ぶ為時。しかし……「のぅ叔父上(道長。母・藤原詮子の弟)。ここは一つ、何とかしてやれぬか」
「えぇ~?」
可愛い甥っ子であり、他ならぬ天皇陛下のお願いですから、何とかしない訳にはいきません。
そこで頭を捻った結果、家臣の源国盛(くにもり)が越前守(現代の福井県を治める国司)に決まっていたので、その座を譲らせることにしました。
越前ならば、淡路より豊かですし、文句もないでしょう。かくして為時は、ゴネ得で淡路守から越前守に栄転?となりました。
「えぇ〜っ?そんな理不尽な!」
一方、源国盛はショックのあまり寝込んでしまい、そのまま息絶えてしまったそうです。
あまりの理不尽であると共に、当時の貴族たちにとって、国司の任官はそれだけ死活問題であったことが分かります。
終わりに一条天皇の無茶ぶりを叶えたせいで、部下を喪ってしまった道長(イメージ)
以上、藤原為時が越前守になった経緯を紹介してきました。
為時にしてみれば、まさにゴネ得、国盛にしてみれば災難以外の何物でもありませんね。
この強引極まる人事変更の裏には、道長が「(愛人だった?)紫式部の父親だから」と贔屓した説もあると言います。本当でしょうか?
前年に西隣の若狭国(福井県西部)で宋船が漂着し、交易を始める可能性があったため、漢学に秀でた為時を抜擢したとの説もあるそうです。
しかし、それなら最初から為時でよかったのでは……実際のところは分かりません。
果たしてNHK大河ドラマ「光る君へ」では、為時の再任官がどのように描かれるのか、楽しみにしています!
※参考文献:
岡本梨奈『面白すぎて誰かに話したくなる紫式部日記』リベラル社、2023年11月トップ画像 左:大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより
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