万年筆の‟万年”っていったい何なの? 万年筆が日本で使われるようになるまで

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万年筆の‟万年”っていったい何なの? 万年筆が日本で使われるようになるまで

自動的にインクがペン先に送られて、長時間の使用ができるタイプのペンは、17世紀頃に考案されたといわれています。18世紀頃からは、〈泉〉を意味する〈ファウンテン・ペン〉と呼ばれるようになりました。

このファウンテン・ペン、1809年になると、イギリスのフレデリック・フォルシュという人物が、特許を取得。同年、同じくイギリス人のジョゼフ・ブラーマが、軸の胴を握るとインクの出る「複合ファウンテン・ペン」を発表し、以後、ペンの発明競争が激化していきます。

そして、1884年、アメリカの保険外交員だったルイス・ウォーターマンが、空気の流通と毛細管作用を利用した、実用性に富んだペンを作りました。

これらのペンが日本に入ってきたのは、明治時代のことです。1897(明治30)年、丸善が「ペン付万年筆」を輸入・販売したという広告が残されています。それによれば「今回初めて到着したこの筆の構造は世界第一」であり、「これまでの舶来物」とは全く異なる新式便利の筆」だと謳っています。

丸善はすでに1884(明治17)年、舶来ペンを輸入・販売していましたが、これはスチログラフィックペンと呼ばれるもので、文字を書く部分が今のようなペン先ではなく、軸(筆)になっていました。軸に針が付いていて、筆圧で針が引っ込むとそこからインクが流れ出るという仕組みのものです。

1897(明治30)年に「新式便利」と喧伝されたペンこそが、ファウンテン・ペンで、ペン先が今のように固定されているものでした。

スチログラフィック・ペンは、もともと「針先和泉筆」と呼ばれていましたが、丸善ではこの新式筆の販売にあたり、「万年筆」と名付けました。それ以前には「吐墨筆」「自潤筆」などとも呼ばれていたようです。

万年筆の呼称のいわれには、多くの説があるようです。

例えば、丸善の輸入担当者の名前が、金沢万吉だったため、「万さん筆」と呼ばれていたものが、転訛して「万年筆」になったというもの。

或いは、万年筆の販売に力を尽くした金沢井吉という人の店の名から来たものだとするもの。そして、明治時代の作家・内田魯庵は、万年も長持ちするから名付けられた、としています。

1885(明治18)年の「横浜毎日新聞」に、「日本橋本石町の時計商、大野徳三郎、初めて万年筆と名付ける」という記事もあるようです。「万年筆」という呼称は、ファウンテン・ペンの輸入以前から使われていたことになります。

参考

丸善出版Webサイト「丸善百年史 日本の近代化のあゆみと共に」 日本筆記具工業会Webサイト「万年筆の歴史」 渡辺順司『万年筆ミュージアム―歴史と文化に触れるモノ造り』(2006 丸善プラネット株式会社)

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