史実にはない?清少納言との出会い。大河ドラマ「光る君へ」2月11日放送の気になるトピックを振り返り!

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史実にはない?清少納言との出会い。大河ドラマ「光る君へ」2月11日放送の気になるトピックを振り返り!

突如として持ち上がった藤原道長(柄本佑)の婿入り話。それぞれ思惑は違いながら、父・藤原兼家(段田安則)と姉・藤原詮子(吉田羊)が時間差で源倫子(黒木華)との縁談を持ちかける展開は面白かったですね。

一方まひろ(紫式部/吉高由里子)は兼家ら右大臣家に対抗するため、源倫子を通じて源雅信(益岡徹)の左大臣家に接近していきます。

また朝廷では花山天皇(本郷奏多)の側近である藤原義懐(高橋光臣)・藤原惟成(吉田亮)一派が右大臣家排除の動きを見せ、これを案じた藤原道隆(井浦新)は漢詩の会を通じて若い俊英らを懐柔していました。

まひろ(紫式部)とききょう(清少納言)。恐らく実際には面積がなかった二人。

漢詩の席に現れたのは、もう一人の才女・ききょう(清少納言/ファーストサマーウイカ)。初対面からいきなりまひろにちょっかいをかけます。

そんな中、内裏では藤原忯子(井上咲楽)が身籠ったままお隠れになり、事態は急変するのでした。

……NHK大河ドラマ「光る君へ」今週も政治的な動きが見られて面白かったですね。

特に道隆の「力づくで抑えれば若者は反発する。日ごろの努力や才覚が認められる場をつくるべき」という発想は、とても人心の機微を得たものと感じ入ります。

しかしその陰には、人間扱いされない無数の庶民が、地べたを這いつくばっている現実がありました。

それでは今週も、気になるトピックを振り返って行きましょう!

まひろも愛読!?21年の結婚生活をつづった『蜻蛉日記』

釣った魚には餌をやらない……兼家はそんなタイプだった?(イメージ)

……天下の人の品高きやと問はむためしにもせよかし……

【意訳】やんごとなき方に嫁いだ女性が、どんな暮らしをしているのか、ご興味ある方の参考にでもしてもらえたら……。

藤原寧子(右大将道綱母/財前直見)が、藤原兼家との結婚生活を描いた『蜻蛉日記(かげろうにっき)』。

天暦8年(954年)から天延2年(974年)まで、21年間の恨みつらみがてんこ盛りです。

これを読むと、いかに兼家が夫としてひどい人物であったか、よく分かるかも知れません。

「玉の輿に乗せてやる」とばかりのプロポーズに始まり、早々に愛人を作って足が遠のき、たまに便りがあれば「礼服を仕立てろ」……などなど。まったく、妻を何だと思っているのでしょうか。

最後は夫からの愛情を諦め、一人息子である藤原道綱(上地雄輔)の将来に希望を託す……という、何とも悲しい内容です。

……なほものはかなきを思へば、あるかなきかの心ちするかげろふの日記といふべし……

【意訳】実に儚く、やるせない心境をつづったこの日記は。『蜻蛉日記』とでも名づけましょうか。

普通、日記と言えば私的な記録として公にはしないものですが、この『蜻蛉日記』は明らかに公開することを前提に書かれています。

日記文学の先駆け的存在であり、後に紫式部(まひろ)も大きく影響を受けたのでした。

しかし、まだ兼家が生きているというのに、このボロっカスぶりは凄まじい。現代語訳も出ているので、よかったら読んでみて下さい。

ただし妻からの一方的な主張なので、夫の言い分も聞いてみたいところです。

さて、今週のF4は?

才覚において当代随一と謳われた藤原公任。菊池容斎『前賢故実』より

花山天皇の治世において、藤原義懐ら側近グループに取り入るか、あるいは右大臣家につくか。若き俊英らは悩んでいました。

藤原行成(渡辺大知)……右大臣家(でなければ道長に通報しない)

藤原斉信(金田哲)……義懐グループ(妹の伝手を頼みにしたいが……)

藤原公任(町田啓太)……検討中(関白家の盛り返しを図りたい。どっちにつくのが有利か)

と言ったところでしょうか。

劇中では酒と女で接待し、彼ら自身よりもその父親が目当ての義懐に対し、自分たち自身の才覚と意欲を評価してくれた道隆。これは有能な若者ほど、右大臣家になびくのではないでしょうか。

せっかくなので、彼らの漢詩から読み取れるメッセージについても、ざっくり振り返っておきましょう。

藤原行成
「先代・円融天皇の治世を思い出す。花山天皇自身はともかく、その側近たちは新しい世に不釣り合いだ」

藤原斉信
「この若き才能を、存分に活かして欲しい。すでに人生の1/3も過ぎてしまったのだから。妹の伝手で立身したいが、才能を評価してくれるなら、別の選択肢も考える」

藤原公任
「花山天皇の政治は、貞観の治(唐の太宗皇帝による理想的な政治)を彷彿とさせる。何の不満があるだろうか。あるとするならば、その側近たちに問題がある」

みんな、そこはかとない不満と野心が感じられます。道隆はこれを巧みに酌みとったのでした。

あと、劇中ではじっくり鑑賞できませんでしたが、それぞれの筆跡も実に味わい深いものでしたね。

特に後世「三蹟」の一人に挙げられる行成の(手)タレントさんは、毎回緊張しているのでしょうか。

白楽天(はくらくてん)と元微之(げんびし)とは?

元微之と白楽天(画像:Wikipedia)

白居易:大暦7年(772年)生~会昌6年(846年)没

元稹:大暦14年(779年)生~大和5年(831年)没

さて、劇中で言及された白楽天と元微之。唐代を代表する詩人として知られる二人は、終生の親友と伝わっています。

ちなみに、白楽天の「楽天」は字(あざな)。成人男性が名乗る通称で、本名は白居易(きょい)です。国語の教科書で、その名を見覚えの方も多いのではないでしょうか。

対する元微之の本名は元稹(しん)。微之が字になります。

二人は若いころからコンビを組んで「新楽府(しんがふ)運動」を展開しました。ざっくり言うと「堅苦しい作法に縛られた漢詩は心に刺さらない。シンプルだけどエモーショナルな漢詩を創ろうぜ!」と言ったところでしょうか。

また若いころの二人は実に尖っており、社会を諷刺したり政治を批判したりと激しめな作風(諷喩詩)が目立ちました。

しかし壮年から晩年にかけては丸くなったのか、日常のささやかな喜びや楽しみを主題とする閑適詩にシフトしていきます。

激しく生きることは、誰でもできるわけではありません。しかし生命ある今を喜び、四季折々の情緒を味わうことは特別な才能を必要としないのです。

彼らの感性は海を越えて日本でも流行し、紫式部や清少納言の文学に大きな影響を与えました。

もしかして、ききょうがまひろにちょっかいをかけたのは「同じ趣味を持つオタクを見つけた」喜び余ってのことだったのかも知れませんね。

在天願作比翼鳥
在地願為連理枝

※白居易「長恨歌」より

【意訳】天にあっては比翼の鳥たらんと願い、地にあっては連理の枝たらんと願う。

どっからどう見ても陰キャ(まひろ)と陽キャ(ききょう)の組み合わせ。今後二人は、元白(元稹と白居易)のように無二の親友となるのか、それとも……。

凸凹コンビの今後が楽しみです!

ちはやぶる神の斎垣も越えぬべし 恋しき人のみまく欲しさに

斎宮に仕える女官。その心中は(イメージ)

さて、漢詩もいいけど、日本人なら和歌だよね!素敵!と、視聴者に言わせんばかり、道長がまひろへ贈ったこの歌。その元ネタは『伊勢物語』にありました。

昔、をとこ、伊勢の斎宮に、内の御使にてまゐれりければ、かの宮にすきごといひける女、わたくしごとにて、
ちはやぶる 神の斎垣も 越えぬべし 大宮人(おおみやびと)の 見まくほしさに
をとこ、
恋しくは 来ても見よかし ちはやぶる 神のいさむる 道ならなくに

※『伊勢物語』七十一

【意訳】今は昔し、伊勢(神宮)の斎宮(いつきのみや)に朝廷からの使者が来ました。

「いったい、どれほど素敵な男性なのだろう?」

斎宮に仕える女官の一人が、使者に和歌を詠みました。

「罰当たりかも知れないけれど、神域を取り囲む垣根を乗り越えて、あなたにお会いしたいです(意訳)」

でも、そんなこと許されるはずもない……しかし使者はこんな返歌を贈ります。

「お望みならば、いつでもいらっしゃい。よもや神様が人間の恋路を邪魔するはずもないでしょうから(意訳)」

……で、その後に女官が神の斎垣を乗り越えたのかは書かれていません。

果たして道長は越えるのでしょうか。次週にまひろからの返歌があるのかも知れないので、気にしておきましょう。

第7回放送「おかしきことこそ」

さて、距離をとりたいけどなぜかとれない。今週もそんなまひろと道長でした。

浮世離れしていた二人でしたが、徐々に政治的な意識が芽生え始めます。少女期/少年期を脱して大人になり始めているのでしょう。

ちなみに、ようやく年が進みましたね。寛和元年(985年)、まひろは16歳になりました。

さて、次週包放送第7回は「おかしきことこそ」。直秀(毎熊克哉)ら庶民の苦しい生活や、貴族階層との軋轢が描かれるのでしょうか。また、藤原公任のサービスショットもあるようです。

NHK大河ドラマ「光る君へ」、次週も楽しみにしています!

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