幕末の「江戸城無血開城」はウソ!城は焼け、庶民も被害を被った薩摩による「攻撃」があった (2/4ページ)
江戸幕府の幕臣たちが新政府軍と交渉し、江戸城は無傷のまま明け渡されることになりました。
しかしこれは、あくまでも幕府軍と新政府軍の「全面衝突」が避けられたというだけの話です。実際には、江戸城と城下町は無傷とはいえない状態でした。
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どう考えても血まみれ!幕末の「江戸城無血開城」は本当はおびただしい犠牲の上に成立した!?これはどういうことなのか、以下で解説しましょう。
西郷隆盛によるゲリラ攻撃「江戸城無血開城」までの経緯で、江戸城と城下町は決して無傷では済みませんでした。どういうことかというと、この直前に江戸の街では、薩摩藩によるゲリラが暗躍していたのです。
この元凶は西郷隆盛です。大政奉還が行われた直後の1867年11月あたりから、彼は配下に司令を出して江戸の町中で強盗行為を働かせていました。
その理由は、幕府から攻撃させることでで、武力討幕を正当なものにするためでした。つまり幕府に対する挑発行為です。
そもそも薩摩藩は、大政奉還によって肩透かしを食わされた形になっていました。しかし実際には慶喜は大政奉還を行ってもその権威を失っていなかったのです。薩摩藩はもう打つ手がなく、逆に追い詰められた形でした。
そこで、武力討幕を可能にするためにゲリラ攻撃による挑発を行ったのです。
