ヒール役全開な藤原道兼、実は結婚していた!妻の藤原繁子とはどんな女性なのか?【光る君へ】 (2/3ページ)
藤原繁子は生年不詳、藤原師輔の娘として誕生しました。姪の藤原詮子が円融天皇に入内すると、女房として仕えます。
やがて天元3年(980年)に詮子が懐仁親王を産むと、その乳母に任じられました。
この時、橘徳子(たちばなの とくし/のりこ。藤原有国室)も乳母となっており、二人の人間関係も気になるところです。
甥の道兼と結婚した時期については不明ですが、永観2年(984年)に長女の藤原尊子(そんし/たかこ)を産んでいるため、この数年前以内と考えられます。
しかし道兼との結婚生活は永く続かず、正暦3年(992年)には右大臣家の家司である平惟仲と再婚しました。
のち尚侍(ないしのかみ)となって従三位に叙せられた繁子は、娘の尊子を一条天皇に入内させます。母として、これほどの喜びはなかったでしょう。
また姪孫である藤原彰子(しょうし/あきらこ。道長の娘)が一条天皇の中宮に立てられた時は理髪係を務めました。
やがて寛弘2年(1005年)3月14日、夫の惟仲に先立たれると好明寺(※)に隠棲。その菩提を弔う日々を送ります。(※)惟仲の菩提寺と思われるが不明。
甥の道長からは慕われており、その晩年まで手厚く扱われたのでした。
その様子は清少納言は随筆『枕草子』で「羨ましげなるもの(第151段)」の一つ(内裏・春宮の御乳母)に挙げるほどだったそうです。
