ナメていた旧幕府軍…幕末の「鳥羽・伏見の戦い」で新政府軍が圧倒的戦力の旧幕府軍に勝利した理由【前編】 (2/3ページ)

Japaaan

「伏見口の戦い激戦地跡」石碑(京都市伏見区)

鳥羽伏見の戦いは、1868年1月3日に発生しました。舞台となったのは、御所の南にある鳥羽街道のあたり。旧幕府軍はおよそ1万5千人規模だったのに対し、新政府軍は6千人と、倍以上の戦力差がありました。

この戦力差にもかかわらず、ご存じの通り結果は新政府軍の勝利に終わりました。この勝因については、当時から新政府軍の装備がきちんとしていたからだという説があったようです。

なにせ、幕臣までもが「敵は武装がよく、よい銃と砲兵を持っていた」と分析しているのです。

しかしこれは、勝敗の原因の分析としては正確ではありません。なぜなら、鳥羽伏見の戦いにおいては旧幕府軍も最新鋭の装備を備えていたからです。

兵装だけでも差は明らか

当時の旧幕府軍は、戦国時代さながらに鎧と刀を装備して、新政府軍の最新鋭の装備に無謀に突撃していったようなイメージがあります。

しかし、鳥羽伏見の戦いでは、フランスからの協力を得て整備された陸軍兵士5千人が幕府陸軍にいました。このうち約800人は、フランス人の教官の指導を直接受けていたのです。

ちなみにかの新撰組も鳥羽伏見の戦いに参戦しています。

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