なんとシカの頭を75頭、ウサギを串刺し…諏訪大社で行われる謎の奇祭「御頭祭」はユダヤ教と関係?

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なんとシカの頭を75頭、ウサギを串刺し…諏訪大社で行われる謎の奇祭「御頭祭」はユダヤ教と関係?

長野県諏訪市の古社「諏訪大社」。4つの社があることで有名です。筆者はこちらに初詣に行きましたが、こちらで4月15日に上社で行われる奇祭、「御頭祭(おんとうさい)」を知っていますか?

筆者撮影

現在は剥製が使われていますが、このお祭り、かつては「鹿の頭を75頭分」、「白い兎を松の棒で串刺しにしたもの」や、「鹿の脳和え・生鹿・生兎・切兎・兎煎る・鹿の五臓な」どを盛ったものがお供えされたといいいます。

諏訪大社十軒廊下

さらには御贄柱に8歳ほどの「御神(おんこう)」という子供を縛りつけ、神官が小刀で刺そうとした瞬間に止めて子供は解放される、という流れの神事も行われていました。

この様子は江戸時代の文化史研究家の菅江真澄が記していますが、不思議なことに、いつから行われてなぜそのような形式になったのか、発祥や由来がはっきりとわからないのです。

(諏訪御柱史2版、牛山天外編、堀田盛文堂、明41.4、国立国会図書館より)

(菅江真澄のスケッチ、国立国会図書館より)

ご神体「守屋山」と「御神」に共通するユダヤ伝説

現代の説明では豊作祈願の神事とされていますが、他の日本の一般的な豊作祈願とは一線を画すといえるでしょう。鹿による農作物被害を減らすために、近隣住民が鹿を神にお供えしたことから始まったという説もありますが、しかし75頭も必要でしょうか?

実は諏訪大社と守屋山にはユダヤ人伝説やユダヤ教の儀式と類似点があるのでご紹介します。列挙すると…

・「モリヤ」はユダヤ人の国イスラエルの首都エルサレムにある山の名前と同音。
・「御神」の「神官が小刀で刺そうとした瞬間に止めて子供は解放される」というくだり

が、旧約聖書の「イサクの生贄」にそっくり。それは…

「神がアブラハムに『あなたの一人息子のイサクをモリヤ山で生贄にしなさい』と命じて、アブラハムが泣く泣く我が子に手をかけるときに神がそれを止めた」

という物語で、信仰を試すもの。

アブラハムは代わりに藪に角をひっかけた山羊を生贄にした。この儀式はユダヤでは「イサクの燔祭」といって最重要な儀式となっている。

・御頭祭は別名「ミサクチの祭」と呼ばれているが「ミサクチ」はヘブライ語で「ミイツハク」に似ており「イサク由来の」という意味である。

ではなぜこのような類似点が発見され、諏訪がユダヤとの関係があるのではと疑問が抱かれたのか、順を追って説明します。

出雲から逃げてきた諏訪氏vs土着民の守矢氏?

諏訪大社の創建は『古事記』によると

“建御雷尊(たけみかづちのみこと)が大国主命に国譲りするように迫った際に、大国主命の次男の建御名方命が建御雷尊に戦いを挑んで阻止しようとした。しかし建御名方命は負けてしまい、諏訪の地まで逃れた”

ということで、この建御名方命の依り代とされたのが諏訪氏であり、代々「大祝(おおほうり)」と呼ばれる神職を世襲で務めて諏訪も明神の「現人神(あらびとがみ)」として崇敬されていました。

一方、守矢氏はいつごろから諏訪にいたのか始祖がはっきりしません。しかし古くからこの土地に住んでいたことは間違いなく、その証拠に地元の神話には洩矢神(もりやのかみ)が登場します。

出雲から諏訪に来た諏訪氏と争いをして負けて、国を譲る代わりに諏訪大社の祭祀を務めるようになったという伝説があります。この守矢氏は代々諏訪大社の神長官を務めており、現在も諏訪大社の近くに「神長官守矢史料館」があり、御頭祭の復元などを見ることができます。このことから、諏訪が現人神として祀られ、負けた守矢がその祭祀を行うという制服された図式にも見て取れますね。

守屋山がご神体のように記述している最古の文献は天文22年(1553年)の『上宮鎮坐秘伝記』で、

“古記に云はく、神の岩隠か、諏方国鎮座の処、宮社を造らずして、唯拝殿を之を建て、山を以て神体と為して之を拝す”

とあります。これだといかにも守屋山=ご神体というのは後付けのように捉えられてしまいますが、元々土着だった守矢氏の信仰や伝説が、諏訪大社のご神体だということになってしまって、混同されてしまったのでしょうか。

また、建御名方命そのものが守屋山に降り立ちて洩矢神となったと同一視する説もあり、どちらにしても興味深いものです。

また、諏訪大社の七不思議のひとつに「耳裂けの鹿」がありますが、供物に必ず耳の裂けた鹿がいるというもので、これはイサクの代わりに供物にした鹿のイメージではないかという説もあります。諏訪には山羊がいなかったので、代わりに鹿が捧げられたと考えられます。

しかしなぜ「75頭」なのでしょうか。新約聖書の「使徒行伝 第7章 14 節」に「ヨセフは使いをやって、父ヤコブと75人にのぼる親族一同とを招いた。」とあります。ヨセフは、あの生贄として捧げられたイサクの孫です。供物の数は、神のご加護により助けられたイサクから枝分かれして増えた親族数なのかもしれません。

そもそもユダヤ人は紀元前にローマに敗れてから、あらゆる地に離散した民族。迫害された一派が流れに流れて日本にやってきて留まり、自分たちの信仰の依り代として山を「モリヤ」と名づけ、祭りを行っていたとしても不思議ではありません。

守矢氏の家紋(Wikipediaより)

ちなみに守矢氏の家紋は十文字。まるで十字架のようです。また守屋山には「十文字岩」「鬼ケ城」などの名前の付いた奇岩がありますが、筆者が昔調べたところ「鬼」と呼ばれる場所は渡来人ゆかりの場所が多いのですよね。十字架はキリスト教の象徴なので、ユダヤ人ではない渡来人なのかもしれません。

これらが全くの偶然なのか、否か。謎は尽きることはありません。

参考:坂東誠著「秦氏の謎とユダヤ人渡来伝説」

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