実は道長にはもうひとりの姉が!大河「光る君へ」に登場なし…藤原道長の姉・藤原超子とは?
NHK大河ドラマ「光る君へ」皆さんも観ていますか?
筆者も毎週楽しみに、まひろ(紫式部)や藤原道長らの活躍を見守っているところです。
さて、その道長ですが、彼には藤原詮子の他にもう一人の同母姉(実の姉)がいました。
【道長の実兄弟】
長兄・藤原道隆
次兄・藤原道兼
長女・藤原超子←コチラ!
次女・藤原詮子
本人・藤原道長
実は既に(第2回放送「めぐりあい」時点で)亡くなっているのですが、その存在だけでも知って欲しいと思います。
大河ドラマでは割愛されてしまった、彼女の名前は藤原超子(ふじわらの ちょうし/とおこ)。果たしてどんな生涯を送ったのでしょうか。
三条天皇の母となるが……藤原超子は生年不詳、母親は道長たちと同じ時姫(藤原中正女)です。
他の兄弟たちとの関係から天暦8年(954年)ごろに生まれたと考えられています。
安和元年(968年)10月14日に入内。御匣殿別当(みくしげどのべっとう)から12月7日に冷泉天皇の女御となりました。
ちなみに当時、父親の藤原兼家はまだ蔵人頭で公卿ではありません。これが公卿でない者の娘が入内する初めての例となったのでした。
かくして冷泉天皇の女御となった超子は三男一女をさずかります。うち居貞親王(おきさだしんのう)はやがて皇位を継承しました。後の三条天皇です。
【藤原超子の子供たち】
三条天皇(居貞親王)
為尊親王(ためたかしんのう)
敦道親王(あつみちしんのう)
光子内親王(こうし/みつこないしんのう)
やがて従四位上に叙せられた超子。我が子の即位を楽しみにしていたことでしょうが、それを見ることなく亡くなってしまいます。天元5年(982年)1月28日のことでした。
寝るなー!藤原超子の死因は……我が子の皇位継承を見届けることなく、若い生命を散らせてしまった藤原超子。その死因はハッキリしないものの、こんなエピソードが伝わっています。
超子が最期を迎えたのは、庚申待(こうしんまち、こうじんまち)の夜でした。庚申(こうしん/かのえのさる)とは六十日に一度めぐる干支の日です。
この日に眠ると、体内に眠っている三尸虫(さんしのむし)が身体から抜け出して、閻魔様に本人の悪事を告げ口にいくのだとか。
しかし眠らなければ三尸虫は体内に留まり、悪事を告げられずに済むと言います。
だから庚申の日はみんなで徹夜、何とか眠らないように夜明けを待ったのでした。
この庚申待の夜が明けようとする時、超子は眠るように息を引き取っていたのです。
ついうっかり眠ってしまい、三尸虫と一緒に霊も持っていかれてしまったのでしょうか。
家族一同は大いに悲しみ、いらい兼家の一門では、庚申待を一切やめてしまったということです。
終わりに以上、道長の姉・藤原超子について紹介してきました。
やがて10数年の歳月が流れ、三条天皇が即位した寛弘8年(1011年)12月27日に皇太后(こうたいごう。天皇陛下の母、または元天皇陛下の妻)の称号が贈られます。
超子は宇治陵に葬られ、道長たちを見守ったことでしょう。
我が弟(道長)に虐げられ、譲位の圧力をかけられ続けた我が子(三条天皇)の姿に、気が気ではなかったかも知れません。
大河ドラマには登場しなかったものの、彼女が遺した三条天皇の活躍を、ぜひとも見届けたいですね!
※参考文献:
倉本一宏 編『王朝時代の実像1 王朝再読』臨川書店、2021年7月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan