室町幕府のダメ将軍?足利義政が逆らえないほどの勢力「三魔」と呼ばれた3人の側近とは?

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室町幕府のダメ将軍?足利義政が逆らえないほどの勢力「三魔」と呼ばれた3人の側近とは?

みなさんは足利義政(あしかがよしまさ)にどのようなイメージをもっていますか?

やはり、京都観光の名物でもある「銀閣寺」を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。文化や芸術を大切にし、足利義政のサポートによって発展した文化は「東山文化」と呼ばれています。

伝足利義政像(Wikipediaより)

文化・芸術への関心が高かった一方、政治面ではあまり活躍を見せていません。

そこで今回の記事では、足利義政の側近で、「三魔」と呼ばれた3人の人物をご紹介したいと思います。

※足利義政に関する記事:

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足利義政の予想外の将軍就任

足利義政は、室町幕府第6代将軍である足利義教(あしかがよしのり)の子どもとして生まれました。将軍家の生まれではありますが、ひょんなことから将軍に。

というのも、父が1441年の嘉吉の変で亡くなり、その跡を継いだ彼の兄・足利義勝(あしかがよしかつ)も、その後9歳という年齢で亡くなってしまったのです。

足利義政は8歳という若さで将軍に選ばれます。まだ若かったため、14歳で元服を迎えたのち、1449年に正式に室町幕府8代将軍となりました。

強すぎた側近

足利義政は将軍の権力を失墜させないよう、意欲的に政治に取り組んでいたといいます。しかし、将軍であっても逆らえないほど力を持った側近が3人いました。

その3人とは、乳母の今参局(いままいりのつぼね)、育ての親・烏丸資任(からすますけとう)、側近の有馬持家(ありまもちいえ)です。

全員、名前に「ま」が入っていることから、「三魔」と呼ばれたそうです。

今参局(いままいりのつぼね)とは?

今参局とはあだ名のようなもので、「新参の女性」という意味があります。日本史上、この名前で呼ばれた女性は多くいますが、義政の乳母が最も有名です。

尾張守護代を先代の守護代に替えようとしたこともあるなど、大きな権力を握っていたようです。しかし同時に反感も買い、義政の正室の日野富子が死産してしまったときには、「今参局の呪詛が原因だ」と言われ、島に流されることに。その途中、彼女は自害したとされています。

烏丸資任(からすまるすけとう)とは?

烏丸資任は、義政の母・日野重子の従弟です。義政が将軍になる可能性が低かったため、子どもの頃は烏丸殿(資任の屋敷)で育てられました。

義政が急遽将軍に選ばれた際も、1459年に室町殿に移るまで、烏丸殿が将軍の御所となりました。そのため烏丸資任は義政の育ての親という意識があり、彼の発言力が高まっていきました。

有馬持家(ありまもちいえ)とは?

有馬持家は、もともとは義政の寵臣だったそうです。謎多き人物でもありますが、次第に義政にとってもやっかいな存在になっていたようです。

記録にも、有馬持家が専横的であったことは特にないことから、近年では三魔のひとりではないという説も出てきています。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

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