【国際女性デー】世界に決して後れを取っていなかった、日本で初めての女性医師たちを紹介

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【国際女性デー】世界に決して後れを取っていなかった、日本で初めての女性医師たちを紹介

※本日3月8日は国際女性デー。1904年3月8日にアメリカの女性労働者が婦人参政権要求のデモを起こし、これをきっかけに、3月8日を女性の政治的自由と平等のための記念日としたのが始まりです。

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エリザベス・ブラックウェルが、貧困や右目の病気という困難に打ち勝って、イギリスで初めて女性として医師登録されたのが1859年1月のこと。

イギリスとアメリカで初の女性医師となるエリザベス・ブラックウェル(wikipediaより)

日本では既に、ドイツの医学者であり、1823(文政6)年に来日し、江戸末期の日本に西洋医学をひろめたフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトと、楠本滝の間に生まれた娘・いねが、父と同じ医学の道を選び、学び始めていた。

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医術開業試験制度導入前の日本で活躍した楠本イネ (wikipediaより)

イネは、1859年(安政6年)には、ヨハネス・ポンペ・ファン・メーデルフォールトから産科・病理学を学び、1873(明治6)年には宮内省御用掛の医師となっていることを考えると、日本での女性医師の誕生はイギリスと比較しても、決して後れを取っていないように感じられます。

一方、1884年(明治17年)、医術開業試験の門戸が開かれ、国家試験を通った女医の第一号は、荻野吟子です。1851(嘉永4)年、武蔵国(現在の埼玉県熊谷市)に生まれた吟子は、結婚後、夫から淋病を移されてしまい、訪れた病院で、医師とその弟子たちの好奇と蔑みの視線を浴びました。

荻野吟子(wikipediaより)

(自身のせいではないのに、このような屈辱を味わわされるのは何故なのか。医師に理解がないのは、彼らが全員男性であることに大きな原因があるのに違いない。このような目に合うのは、自分一人でたくさんだ)

そのように思った吟子は女医になろうと決心し、覚悟を決めて夫と離別して上京します。1870(明治3)年のことでした。

まず、甲府の私塾に通い、その後、女子師範学校で学びます。

女性が学問をするだけでも大変だった時代、ましてや女性が医学を学ぶということは、先例もなく困難を極めました。一方で、当時の医学界の重鎮・石黒忠悳が尽力したことにより、好寿院という私立の医学校で3年間学ぶことができました。

医術開業試験のときも、受験を拒否されそうになったといいます。その際、文部省医務局長でもあった長与専斎が、受験規則に女子は不可と明記されていない、とし、女性でも受験できるように取り計らいました。1885(明治18)年9月、見事試験に合格した荻野吟子は、日本で初めて医術開業試験を合格した女性医師となったのでした。

参考:加藤 純子『伝記を読もう 荻野吟子: 日本で初めての女性医師』(2016 あかね書房)

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