陰陽師は安倍晴明だけじゃない!平安時代、晴明の才能を見出した師匠・賀茂忠行の凄み (2/2ページ)
賀茂忠行はなかでも、覆いの中身を言い当てる「射覆(せきふ)」を得意としていました。醍醐天皇からそれを披露するよう言われると、見事中身を言い当て、醍醐天皇から「天下に並ぶもの無し」と称賛されたと言われています。
また、賀茂忠行は安倍晴明の師匠とも考えられています。安倍晴明の才能を見出し、彼に「まるで瓶の水を移すかのように」陰陽道を教えたと言われています。また、『今昔物語集』には、賀茂忠行と安倍晴明のエピソードも収められています。
陰陽道宗家を二分した賀茂保憲賀茂保憲(かものやすのり)は先ほどご紹介した賀茂忠行の長男で、彼もまた父親と同じように陰陽道に優れた才能を有していました。昇進も早く、父親よりも位階が上になってしまったときには、父の昇進を願い出た、とも言われています。
賀茂保憲が行ったことのうち、特に重要なものが、陰陽道宗家を二分したという点でしょう。家学であった陰陽道を算数と天文道の二つにわけます。算数を主とする歴道は自身の子どもの賀茂光栄(かものみつよし)に伝え、天文道は安倍晴明に継がせました。
ちなみに、光栄はこのことに関し、安倍氏に宗家の地位を与えることを疑問に思い、晴明と争論したとも言われています。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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