占いなんて人を惑わせるから追放!豊臣秀吉が弾圧した「陰陽師」、実は江戸時代にも活躍していた (2/2ページ)

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そして、平安時代ごろまでは貴族に仕える役人として力を発揮しました。

平安時代以降は、陰陽師は武士や平民たちにも広がっていきました。戦の勝敗を占ったり、病気などから身を守るために占いに頼ったりすることがありました。

また、意外かもしれませんが、江戸時代には多くの陰陽師が活躍。土地や建物の吉兆、風水などを占っていました。また、歴法の整備も担っていました。なお、明治維新によって陰陽寮(中央政府の官僚機構)は廃止され、陰陽師たちもその身分と権利を失っていきました。

陰陽師は男性だけだった

残念ながら、女性の陰陽師がいたという話はありません。比較的近い役割で、女性が担ったのが巫女(みこ)でした。女性だけがなれるもので、平安時代においては官職のひとつでした。

陰陽師の弾圧を行った豊臣秀吉

先ほど、平安時代以外にも陰陽師が活躍していたと述べましたが、歴史上の非常に有名な人物による弾圧が行われたこともありました。それは、豊臣秀吉。

彼は天下を取ったあと、陰陽師を含む祈祷師・呪術師らを対象に弾圧を行いました。「占いなどにより人の心を惑わせたり、一揆を起こさせたりする可能性があるから」という理由などが考えられています。

131名ほどの陰陽師たちを「荒地開墾」という名目で尾張・三河に追放したと言われています。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

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