皇室の紋章「菊の御紋」実は古来からではなかった!皇室の家紋はいつから菊になったのか? (2/2ページ)
上皇は菊と日本刀が殊のほかお気に入りで、お抱えの刀工に打たせた刀に自ら鏨(たがね)で菊紋を彫り込んだという逸話が残るほど。
後鳥羽上皇は1221年に「承久の乱」を起こします。鎌倉幕府執権の北条義時に討伐の兵を挙げて敗れた乱ですね。
その後、後鳥羽上皇の直系ではない者を天皇に据えたい鎌倉幕府と、朝廷とのせめぎあいで天皇は変遷を重ねますが、中立であった邦仁王が後嵯峨天皇として即位します。
しかし後嵯峨天皇は1246年に譲位して上皇となると、紋章を後鳥羽上皇が使用していた菊の紋章に変えました。
この経緯について、上皇に仕えた葉室定嗣(はむろさだつぐ)は日記「葉黄記」で
「上皇様が菊の紋章を使うのは先祖の後鳥羽上皇にならうものである。中国では前漢が滅んだ後に光武帝が後漢を復興したが、上皇様は自らが後鳥羽上皇の後継者である事を強く意識して、菊の紋章をお使いになった」
と書いています。
後嵯峨天皇が紋章を菊に変えたのは、反幕府の象徴的存在であり、朝廷は幕府の意のままに操られまい、という後鳥羽上皇の意思を継いだものであるということですね。もちろん色々と物議を醸しましたが結局は認められる事になりました。
時代は下がり江戸時代になると幕府の紋である「葵の御紋」は幕府の象徴であるから民間で使われることは固く禁じられていましたが、菊の御紋は制限がなかったので親しみのある紋として民間でも使われていました。
明治以降は天皇家の権威を高めるため、逆に菊の御紋の民間での使用は制限されることとなりました。
筆者は幕末の討幕運動で盛んに使われた「錦旗の御旗」(天皇の家紋を掲げた薩長軍に、幕府軍がひるむなど)のイメージがあったので、菊といえば尊い紋という認識しかありませんでした。桐の方が古いとは知りませんでしたので、面白いものですね。
参考:天皇家99の謎(歴史の謎研究会編)
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