おバカじゃなかった説!大河「光る君へ」で残念な子扱いされている藤原道綱(上地雄輔)の意外な才能がコチラ
藤原兼家(段田安則)の庶子で、何かと残念な子扱いされている藤原道綱(上地雄輔)。
才女として名高い母・藤原寧子(財前直見。寧子は役名)の才能を受け継げなかったらしく、かなりぞんざいな扱いを受けています。
道長の異母兄
藤原 道綱(ふじわらのみちつな)
上地 雄輔(かみじ・ゆうすけ)道長の異腹の兄。知性豊かな母を持つが、本人は一向に才に恵まれず、父の兼家からは、嫡妻の息子たちより格段に軽く扱われている。性格は明るくお人よしで、憎めないところもある。
※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイト(人物紹介)より
しかし、そんな「残念な子」道綱ですが、実はそこまでおバカじゃなかった説があるようです。
時は寛の2年(986年)6月10日、花山天皇(本郷奏多)が開催した歌合(うたあわせ。和歌合戦)でのことでした。
夏の夜、鳥の声を愛でる孤高の歌みやこひと ねてまつらめや ほとときす
いまそやまへを なきていつらむ【意訳】都の人々は待ちくたびれて寝てしまったようだ。今ごろようやく、ホトトギスは山辺で鳴きはじめただろうな。
これは道綱が詠んだとされる和歌。お題は夏の郭公(ホトトギス)、対戦相手は藤原長能(ながよし)です。
みんなが寝静まった後で、ひとり山奥で鳴くホトトギスに思いを馳せる……そんな自分の孤高を謳っているようですね。
「なに気取ってるんだ、道綱のくせに」
そんなツッコミも聞こえてきそうな……しかし和歌の出来栄えは、その才知と比例しています。
道綱からこんな和歌が詠まれるなんて……会場では、人々の感動を呼びました。
「勝者、右方(みぎかた。この場合は道綱)!」
何と、道綱は長能に勝利したのです。
左右は左が上位のため、この手の勝負は多くの場合、左方が勝利しました。
要するに勝利する(であろう)と見込まれた方が左方に配されたものと思われます(例外あり)。
つまり右方の道綱は負けるだろうと思われていたのに、アドバンテージを覆して勝利したと言えるでしょう。
「やったぁ!」
実際あからさまに喜びを体現することはなかったでしょうが、その高揚感は察するに余りありますね。
終わりにしかし、中にはケチをつける手合いもいたのでしょうか。
「どうせ、母上に代作してもらったんだろうよ」
「そうだ、きっとそうに違いない……」
そんな噂が既成事実化してしまったのか、『拾遺和歌集』では、この和歌が道綱母(寧子)作として伝わっています。
寛和二年内裏歌合に
道綱母
宮こ人ねてまつらめや郭公今そ山へをなきていつなる※『拾遺和歌集』
これは本当に彼女が出詠したのでしょうか。あるいは、道綱の和歌が実質的に母親作であるからとして、このように記録されたのでしょうか。
実際のところはともかく、道綱もきちんと評価されたらいいですね。
※参考文献:
大曾根章介ら編『日本古典文学大事典』明治書院、1998年6月 角田文衞 監修『平安時代史事典』角川書店、1994年4月トップ画像(右):大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより
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