彼氏の弟も好き♡欲望のままに生きた平安時代のメンヘラ「和泉式部」が日記に綴ったヤバすぎる恋愛事情【前編】

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彼氏の弟も好き♡欲望のままに生きた平安時代のメンヘラ「和泉式部」が日記に綴ったヤバすぎる恋愛事情【前編】

いわゆる女流日記文学が流行した平安時代。紫式部や清少納言が乙女の恋模様を綴ってブームを巻き起こすなか、それとは正反対に目まぐるしく変わる歴代彼氏&旦那や昼ドラも逃げ出すリアル下剋上不倫を日記に綴った女流歌人がいました。

「和泉式部」と呼ばれた彼女は、同僚の紫式部に認められるほどの歌人です。

賢女烈婦伝 和泉式部(歌川国芳 画)

前編となる本記事では、和泉式部の人物像や彼女が記録した恋愛日記の前半部分を紹介。後編では、妻持ちの彼氏にとり行って正妻の座を実質的に奪い取るまでの物語をお届けします。

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平安時代のメンヘラ「和泉式部」

和泉式部は、日記に綴られた言葉の端々から感情的な人物であったと考えられています。

それは自身が支える時の権力者・藤原道長に浮かれ女とバカにされたとき、「アンタの女でもないのに指摘される筋合いはないわ」と強気に言い返してしまうほど。また、同僚の紫式部からは「歌人としては尊敬できるけれど、素行においては感心できたものではない」と批評されています。

そんな和泉式部は恋多き女性として有名な人物で、色恋事情に関しておおらかな当時でも看過できないと成敗されてしまうほどの問題児でした。彼女がお付き合いした男性はイケメンから権力者まで様々で、一度好きになってしまうと、危険な恋でもお構いなく猪突猛進というのが彼女のルーティーンだったようです。

初結婚&スピード離婚と新たな恋の予感♡

小倉百人一首56番(Wikipediaより)

和泉式部の初結婚相手は、橘道貞という貴族の男性でした。当時の女性の場合は結婚と同時に恋愛を終了し、箏(こと)や日記など多岐にわたる趣味の生活を楽しむのが一般的です。しかし、和泉式部の場合は結婚してからが本当の恋愛の始まりだったのかもしれません。

ことの発端は旦那・橘道貞の浮気の発覚でした。

橘道貞に愛想を尽かした和泉式部の中で、何かが吹っ切れたのでしょう。橘道貞とは自然消滅で離婚をし、さっそく新しい彼氏を作ってしまいます。この新しい彼氏というのが冷泉院の第三皇子・為尊親王です。

しかし、男運のない和泉式部。この為尊親王は典型的なチャラ男で、疫病が大流行していたにも関わらず夜遊びを続けていたことが祟って早くに亡くなってしまいます。

大好きな彼氏の死と新たな恋の予感♡

さて、大好きな彼氏を失い絶望の淵にいた和泉式部。そこに颯爽と現れたのが次の彼氏「帥宮敦道」でした。ちなみに新彼氏・帥宮敦道は、なんと前彼氏・為尊親王の実の弟です。

和歌の上手さが出世やモテの対象であった当時、美しい美貌も兼ね備えていた和泉式部は世の男性のアイドル的存在。子持ちバツイチでも言い寄ってくる男性は後を絶たず、権力を兼ね備えた大きな魚をも釣りあげたのです。

2人の出会いのキッカケは為尊親王の死でした。

為尊親王の弟であった帥宮敦道は、彼氏の弟として和泉式部に励ましの手紙を送っていたのです。しかし、手紙の内容は早い段階でナンパに切り替わっていたのだとか。

地位も高くてイケメンと噂の帥宮敦道からのお誘いということもあって、和泉式部の恋心は完全復活。満月の夜に初めて顔を合わせた2人は情熱的な契りを交わしました。

欲望のままに生きた和泉式部は、このあと正妻の座を賭けた昼ドラバトルを繰り広げることに…

続きは次回の【後編】で紹介します。

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