庶民は生活苦で富豪を襲撃!悪天候・自然災害が重なり大飢饉、江戸時代に起きた「天明の打ちこわし」とは? (3/4ページ)

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空腹のあまり人肉を喰らう人も!史上最悪と呼ばれる江戸時代「天明の大飢饉」はどのようなものだったのか

江戸時代、餓死者放置は当たり前!?人肉をも食べた恐ろしい飢饉の真実【その1】

そもそも、天明の大飢饉はさまざまなことがきっかけで発生しました。天明2年(1782年)から続いた悪天候により、農作物が育たなかったり、米が獲れなかったりしました。

また、天明3年(1783年)には山の噴火が起こり、火山灰で農地が埋まってしまいました。ひどい飢饉が発生します。追い打ちをかけるように、赤痢のような疫病も流行ったと言われています。

どんどん米の値段が上がる

飢饉に加え、米屋が出し惜しみをして値段をつりあげるなどし、米の値段がどんどん上がっていき、庶民が米を手に入れにくくなります。ま

た、当時の老中・田沼意次も財政維持を優先的に進めたり、藩も自分たちの分を守るために「津留(つどめ)」という物資を流出させない策をとったりと、政治面の影響もありました。

打ちこわし発生、しかし

このような状況のなか、江戸や大坂といった都市を中心に、30か所ほどで打ちこわしが起こりました。

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