藤原道長も震えたレベル!人質に構わず一斉射撃、平安時代の凶悪強盗事件。その結末は?【光る君へ】
「近づいたら、コイツの生命はないぞ!」
追い詰められた犯人が、人質をとって逃亡を図る凶悪事件。
罪なき生命を危険にさらす非道の振る舞いは、今も昔も避難すべき悪行と言えるでしょう。
さて、今回は平安時代に起きた人質事件を紹介。時は万寿元年(1024年)3月のことでした……。
検非違使たちが完全包囲。しかし……。「来るな!コイツがどうなってもいいのか!」
検非違使の追手を逃れ、盗賊が飛び込んだのは源行任(ゆきとう)の館。盗賊は左衛門命婦(さゑもんのみょうぶ)を捕らえ、人質にしたのです。
この左衛門命婦、源致明(むねあき)の娘で、藤原伊周(これちか。藤原道隆の子で道長の甥)の妾でした。
「観念しろ、この館は完全に包囲されておるぞ!」
間もなく駆けつけた検非違使たちは館を完全包囲し、ネズミ一匹逃げ出すことはできません。
さぁ、今にも突入せんばかりの検非違使たち。しかし彼らを足止めする者たちがいました。
藤原道長と息子の藤原頼通(よりみち)、そして娘の藤原彰子(しょうし/あきらこ)です。
道長「待て、賊を刺激してはならぬ。検非違使たちは、ただちに解散せよ!」
検非違使「人質の生命を惜しむのですか?それでは罪を見逃すことになりますぞ!」
道長「それは……」
※実際には、現場から遠く離れた場所から指示を出していたものと思われます。
館の外で、外野たちがワイワイ騒いでいる間に、館の中では藤原顕長(あきなが)が盗賊と接触を図りました。この顕長は左衛門命婦と藤原伊周の息子です。
交換された人質顕長「私が身代わりになるから、母を解き放て!」
盗賊「……よかろう、いい度胸だ」
条件として、逃走用の駿馬と護身用の弓と太刀、そして当座の生活をまかなう絹と米が要求されました。
左衛門命婦「顕長……!」
顕長「母上、私のことはご心配なく。むしろ親孝行の機会をありがとうございます」
そんなやりとりがあったかどうか、緊迫する空気の中で、人質の交代が行われます。
盗賊「おい、この馬じゃダメだ!もっとマシな馬はないのか!持って来ないとコイツを殺すぞ!」
「……チッ」
とにかく馬も交換され、盗賊はまず顕長を鞍に乗せ、自分は後ろから乗って逃走しました。
検非違使「放て!」
盗賊の馬が館の門を出るや否や、雨のように矢が浴びせられます。
館の中はともかく、往来は検非違使の天下も同じ。京都洛中の治安を守る者として、たとえ道長たちの願いであろうと聞き入れることはできません。
果たして盗賊は六筋の矢に射抜かれて即死。矢の一部は顕長にも当たり、左手の親指が射切られてしまったそうです。
相当な至近距離から、大量の矢が射られたことでしょう。
人質の生死を問わない、なりふり構わぬ当局の姿勢が察せられます。
終わりにかくして平安京を騒がせた人質事件は終結し、盗賊の首は獄門にかけられました。
果たしてNHK大河ドラマ「光る君へ」では、この場面あるいはこれをモチーフにした事件が演じられるのでしょうか。
雅やかな王朝文化の片隅で、こうした事件が繰り広げられていたと思うと、よりいっそう物語を味わえるかも知れませんね。
※参考文献:
倉本一宏『平安京の下級官人』講談社現代新書、2022年1月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan