生首事件は史実、花山天皇の呪いの意味、北の方とは?大河ドラマ「光る君へ」3月17日放送振り返り

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生首事件は史実、花山天皇の呪いの意味、北の方とは?大河ドラマ「光る君へ」3月17日放送振り返り

花山天皇(本郷奏多)が出家したことで、にわかに失脚してしまった藤原為時(岸谷五朗)。まひろ(紫式部/吉高由里子)は摂政となった藤原兼家(段田安則)に、父の再任官を願い出るも一蹴されてしまいます。

そんなまひろの窮状に心を痛め、藤原道長(柄本佑)は「妻になれ」とプロポーズ。しかし立場を考えると北の方(正室・正妻)にはできず、妾(しょう/めかけ)という扱いに。

大河ドラマ「光る君へ」公式ページより

心の中では一番と言われたって、男の気持ちなんてすぐに移ろってしまうもの。北の方でなければ嫌だと言い張るまひろに、道長は怒り出してしまうのでした。

……さて、NHK大河ドラマ「光る君へ」皆さんも楽しんでいますか?今週はまひろ一家の不遇と、右大臣家の隆盛がメインでしたね。

それでは第11回放送「まどう心」、今週も振り返っていきましょう!

藤原為時、その後どうなる?

官職を解かれ、失意の為時(イメージ)

花山天皇に忠義を尽くしたため、官職を追われてしまった為時。

「わしの命令を聞けぬと申した者を、許す訳には行かぬ」

兼家の言い分は至極もっともで、その事情を知ってお願いに上がったまひろの神経を疑うばかりです。

というか、兼家もよく面会しましたね。何の利用価値もない虫けらを相手する時間も惜しいでしょうに……。

何なら、余興として思う存分なじり倒してやりたかったのかな?と思っていました。

この世界の兼家は、本当に優しいですね。あと、何てストレートなんでしょう。

ストレートついでに「そなたの父程度なら、掃いて捨てるほどいる。自惚れるな」くらい言ってやってもよかったですね。

フィクションとは言え、平安貴族らしく思いっきり婉曲に嫌がらせをするとか、少なくとも半日は待たせっ放しにするくらいは期待していました。

あるいは人の嫌がる官職、六位に見合わない(極端に低い)官職なら空きがあると勧めてやるのも一興ですね。

例えば囚獄佑(ひとやのすけ。監獄の次官で、七位相当)なんかどうでしょうか。

「人をなぶるのも大概にしろ」とツッコミが入りそうなので、この辺にしましょう。

さて。散位(位はあっても官職はない状態)となった為時は、その後に道長が政権を掌握するまで、永らく不遇をかこつことになります。

再び官職を得るのは長徳2年(996年)、越前守に任じられました。

(本当は淡路守でしたが、為時が駄々をこねたので越前守に格上げ。ゴネ得ですね)

この抜擢は為時の学識ゆえか、あるいは道長とまひろの関係ゆえか。いずれにしても、よかったですね。

一条天皇(懐仁親王)の即位式で起きた生首事件

一条天皇(画像:Wikipedia)

寛和2年(986年)8月30日、懐仁親王が即位しました。後の一条天皇です。

即位礼の当日、天皇陛下の玉座である高御座(たかみくら)に生首が乗っているのを発見しました。

このエピソードは平安末期の歴史物語集『大鏡』に記述があります。

……前の一条院の御即位の日、大極殿の御装束すとて人々あつまりたるに、高御座のうちに、髪つきたるものの頭の、血うちつきたるを見つけたりける、あさましく、いかがすべきと行事思ひあつかひて、かばかりのことを隠すべきかとて、大入道殿に、「かかることなむ候ふ」と、なにがしのぬしして申させけるを、いと眠たげなる御けしきにもてなさせ給ひて、物も仰せられねば、もし聞し召さぬにやとて、また御けしき賜はれど、うち眠らせ給ひて、なほ御いらへなし。……

※『大鏡』太政大臣道長雑々物語より

劇中では道長が毅然と対処していましたが、こちらでは兼家が毅然と……あれ、寝てます?

「おい、どうする?」

「兼家様が寝ていらっしゃるのに、我々の判断で事を大きくできないな」

「仕方ない。知らなかったことにして、そのまま進めてしまおう……」

とか何とか言ったかどうか、生首はなかったことにされたのでした。

迷信に振り回される人々に嫌気が差していたのでしょうか。道長は玉座の血を袖で拭って「穢れてなどおらぬ」と断言します。

確かに赤い服ですが、血の色は後でハッキリでてしまうので、別の布で拭った方がよかったのではないでしょうか。

花山法皇「おんしゅちりきゃらろはうんけんそわか」の意味

大威徳明王像(画像:Wikipedia)

さて、一条天皇の即位を控えて、必死に呪詛していた花山天皇。今は出家しているので花山法皇ですね。

「おんしゅちりきゃらろはうんけんそわか、おんしゅちりきゃらろはうんけんそわか……」

この「おん・しゅちり・きゃらろは・うんけん・そわか」とは何でしょうか。

これは大威徳明王(だいいとくみょうおう)のご真言。その別名ヤマーンタカ(降閻魔尊)、閻魔大王も倒してしまう強さからそう呼ばれました。

この大威徳明王は六面六臂六足(ろくめんろっぴろくそく。顔と腕と足がそれぞれ6つ)という異形の姿をしており、これは文殊菩薩が悪鬼を倒すために変化した姿と言われます。

チベットの伝承によると、この悪鬼は元々人間だったそうです。

今は昔、とある修行僧が盗賊たちに殺されました。永らく修行を重ねて徳を積み、ようやく大願成就する寸前で殺された怨みは凄まじく、僧侶は化けて出ます。

斬られた首が見つからないので、その辺にいた牛を殺してその頭を身体に乗せ、たちまち盗賊たちを皆殺しにしました。

しかし怨みと怒りのやまない修行僧は悪鬼と化してしまい、罪なき人々まで殺すようになったのです。

あまりの惨状を見かねた文殊菩薩は悪鬼を懲らしめるため、悪鬼以上に恐ろしい姿となって人々を救ったのでした。

という故事から、敵を呪い殺して悪縁を断ち切る象徴となった大威徳明王。その真言を唱えることで、一条天皇とその後ろ盾となった兼家一族を呪い殺そうとしていたのですね。

二人に配された北斗七星の意味

北斗七星。往時の人々は、その輝きに神を見出した(イメージ)

劇中、一条天皇が召していた装束の背中には北斗七星があしらわれていました。

一方で、呪詛し損ねた花山法皇の数珠が散らばり、北斗七星を象(かたど)っていたのにお気づきでしょうか。

これは一条天皇が天皇大帝(てんのうたいてい)、花山法皇が北斗星君(ほくとせいくん)を表したものと思われます。

天皇大帝と北斗星君はともに北斗七星の神格化であり、前者は君主の象徴、後者は死や敗北を象徴する存在です。

つまり死のケガレを乗り越えて一条天皇が君臨し、花山法皇は敗れ去ったという意味でしょう。

なお、花山法皇は敗れたとは言え20年以上にわたって生き永らえ、女遊びに興じたのでした。

が、それはまた別の話し。今回初登場の藤原伊周(三浦翔平)が深く関わってくるので、頭の片隅に入れておいてくださいね。

東宮となった居貞親王(三条天皇)

三条天皇(画像:Wikipedia)

さて、一条天皇の即位によって東宮(皇太子)となった居貞親王(小菅聡太)。後の三条天皇です。

次の御門、三條院の天皇と申しき。御諱居貞(ゐさだ)、これ冷泉院第二の皇子なり。御母贈皇后宮超子と申しき。太政大臣兼家のおとゞの第一の御女なり。この御門は、貞元元年丙子正月三日生れさせ給ふ。寛和二年丙戌七月十六日、東宮に立たせたまふ。同じ日御元服なり、御年十一。寛弘八年辛亥六月十三日位に即かせ給ふ、御年三十六。世をたもたせ給ふ事五年。……

※『大鏡』六十七代 三條院天皇

冷泉天皇と藤原超子(道長の姉)の間に生まれた第2皇子で、道長にとっては甥、兼家の孫に当たります。

兼家にして見れば、2代続けて自分の孫が天皇陛下に即位する予定。権勢を極める未来のレールがしっかりと敷かれたのでした。

容姿が兼家そっくりで、兼家からとても可愛いがられたことが『大鏡』に伝わっています。

が、兼家の死後に即位すると、叔父に当たる道長と対立。眼病を患っていたことを理由に退位を迫られ、いじめ抜かれるのです。

大河ドラマでどこまで描かれるか分かりませんが、今はまだ好青年寄りな道長が、どこまで闇堕ち?するのか注目しておきましょう。

そんなになりたい?北の方とは

道長の妾になった?と言う説もある紫式部(画像:Wikipedia)

まひろが道長にせがんだ北の方(きたのかた)。話の文脈から正室であると分かりますが、実際そんなにいいもんだったのでしょうか。

最愛でありながら、生まれゆえに正室にはなれない。そう聞いて『源氏物語』のメインヒロイン・紫上(むらさきのうえ)を思い出した方も多いと思います。

本作においては、道長と相思相愛ながら結ばれることのない自らの哀しみを、紫上に託すのかも知れませんね。

(紫式部が自身を託しているヒロインには諸説あり。恐らく空蝉?)

さて、それはそうと、なぜ正室を北の方と呼ぶのでしょうか。南の方とか東の方ではダメなのでしょうか。

北の方という言葉の由来として有力なのは、平安時代の寝殿造りでは正室を北対(きたのたい)に住まわせることが多かったからという説。

では、なぜ北なのでしょうか。南側の方が日当たりもよくて最高な気もしますが……。

これは「君子南面す」という思想に基づくもので、先ほどの北斗七星もそうであるように、北は最上位の方角とされました。

だから実態はともかくとしても、正室は最も大切な存在=北の方とされたのです。

第12回放送「思いの果て」

藤原道長。正直なところ、まひろが「妾でもいい」と言ったところで、父・兼家が許さなかったと思う(画像:Wikipedia)

さて、惹かれ合いながらも反発してしまった二人。何となく、物語を盛り上げるために無理やり聞き分けのないキャラにされてしまったような違和感を覚えました。

次週の第12回放送は「思いの果て」、歴史的にはそう大きな動きもなく、二人をとりまく結婚事情が描かれるのでしょう。

物語の中では一条天皇の即位間もない寛和2年(986年)、道長が源倫子(黒木華)に婿入りするのは翌永延元年(987年。寛和3年)ですから、次回はまだ結婚には至らないものと予想します。

まひろにも縁談が来るようですが、果たしてどんな展開を迎えるのか、次週も楽しみですね!

トップ画像:大河ドラマ「光る君へ」公式ページより

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