図太さ横綱級!藤原実資があきれた平安時代の相撲人・越智富永とは何者か?【光る君へ 外伝】
「お前は、俺が倒す!」
少年漫画などでよくあるシーン。
身の程知らずな主人公が、強豪に勝負を挑んだ場合、ものの見事に奇跡的な勝利をつかむ展開が待っているものです。
……が、現実はなかなか甘くありません。
リアルでそれをやっても、十中八九は返り討ちにあって終わりでしょう。
しかしワンチャン大金星を狙って、身の程知らずな勝負を挑む手合いは後を絶たないものです。
今回は平安時代の相撲人(すまいびと)・越智富永(おちの とみなが)を紹介。彼のやらかしぶりは、なかなか凄いものでした。
デビュー戦で関脇に挑戦!時は寛仁3年(1019年)7月24日。藤原実資(さねすけ)のもとへ、越智富永はやって来ました。
実資「何。秦常正(はたの つねまさ)と勝負したい、だと?」
伊予国(現:愛媛県)から遠路はるばるやって来て、いきなり何を言い出すかと思えば……実資は呆れてしまいます。
というのもこの富永、宮中で行われる相撲節会(すまいのせちえ)に出場し、秦常正と取り組みたいとのこと。
ちなみに秦常正は最手に次ぐ腋を務めます。現代の大相撲で言えば、関脇あたりでしょうか。
つまり地方から前相撲(デビュー戦。序ノ口の前)にやって来た若者が、いきなり関脇に勝負を挑んだようなものです。
実資「バカを申せ。まずは相応の者と取組して、実力を示すべきだ」
富永「よし、勝って実力をお目にかけましょう」
というわけで7月25日、富永は予行演習にあたる内取(うちとり)に出場しました。対戦相手は縣為長(あがたの ためなが)、コイツを倒せば、天下に我が名が……。
轟くなんてことはなく、富永はアッサリ負けてしまいました。
実資「何だ、まったく口ほどにもないな」
富永「いえいえ、それがしは本番に強いタイプでして……」
とか言ったかどうかはさておき、7月27日にいよいよ召合(めしあい)。天皇陛下のお召しによって行われる本試合です。
富永は五番目に出場、今度の相手は伴勝平(ともの かつひら)でした。
よぅし、コイツを倒して今度こそ……勝ちたかったのですが、そう上手くは行きません。この召合においても、奮闘むなしく黒星を喰らってしまいます。
実資「何じゃ、結局ダメだったではないか」
富永「いえいえ、勝ちがあれば負けもあってこそ勝負というもの……」
とか何とか言ったかどうか、結局いいとこなしだったのでした。
後日談しかし、ここでフェイドアウトするようなタマではありません。
7月29日、実資が相撲節会に出場した相撲人らをねぎらうため、祝宴を開いた時でした。
実資「あっ、彼奴は!」
何と、富永は呼ばれもしないのにやって来て、散々飲み食いしていたのです。
富永「いやぁ、皆様がた。お疲れ様にございましたな。見事な健闘ぶり、感服いたしました……」
まるで勝者のような振る舞い、何だったらここぞとばかりに顔と名前を売ろうと必死に営業をかけています。
実資「まったく、何と図々しい……」
大した実力もないくせに大口を叩いて出場し、敗れても悪びれることなく官途にあずかろうとは……。
こういう手合いは、のさばらせておくとロクなことになりません。
実資は下人に命じて富永をつまみ出させたということです。
実資「……やれやれ、これでよし」
しかし、数年後の治安3年(1023年)。相撲節会の季節に、再び富永はやって来たのです。
実資「そなた、なぜ!」
富永「やはり主人公は、復活してナンボだからではないでしょうか」
その後も毎年、相撲節会の季節になると伊予国から上洛した富永。万寿4年(1027年)まで毎年、実資を悩ませたことでしょう。
終わりに以上、越智富永のエピソードを紹介してきました。まったく、横綱級の図太さですね。
実力以上のホラを吹き、笑いものとなってしまいましたが、それでも諦めることなく挑み続ける闘志は見上げたものと思います。
意外とこういう人物の方が印象に残り、そのしぶとさを買われて成功することも少なくありません。
その後、富永がどうなったのかは分かりませんが、何とか一定の成功を収めていて欲しいですね。
※参考文献:
倉本一宏『平安京の下級官人』講談社現代新書、2022年1月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan