1度の航海で1億円稼ぐ!?江戸時代に一攫千金を夢見ることができた「北前船」の実情に迫る

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1度の航海で1億円稼ぐ!?江戸時代に一攫千金を夢見ることができた「北前船」の実情に迫る

みなさんは「北前船(きたまえぶね)」という言葉を聞いたことがありますか?

日本史の授業で習った記憶がある、という方も多いかもしれません。さまざまな物や文化を運んだ北前船ですが、実は船主にとっては一攫千金の夢が持てる存在でもありました。

そこで今回の記事では、知られざる北前船の姿に迫ってみたいと思います。

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北前船はいつ頃から始まった?名前の由来は?

明治〜大正時代の北前船(Wikipediaより)

北前船は、江戸時代から明治時代にかけて日本海海運(西廻り航路)で活躍した船のことを指します。北海道から大阪まで往復していた買積み廻船の総称です。

買積み廻船とは、誰か他の人から荷物を預かって運ぶのではなく、船主が商品を買って売ることで利益を上げる廻船です。そのため、「動く総合商社」と考えるとわかりやすいかもしれません。

寛永16年(1639年)に加賀藩が大阪まで米を運んだことがわかっており、これが北前船の始まりだと考えられています。ただし、運航が盛んになるのは江戸中期ごろからでした。

また、北前船という名前の由来は諸説あります。例えば、「北廻り船」という言葉がなまったという説、また「北前=日本海」を指し、日本海を運航する船だからという説などがあります。

北前船で船主が運んだものとは?

北前船では、米、紅花、昆布、ニシン、塩、鉄などが運ばれました。また、船の重し代わり石なども載せられました。

さらに、運んだのは物だけではありません。北前船の寄港地では、近畿の文化が伝わり、言葉・食文化等に影響しています。

一攫千金を夢見る船主

北前船では、大きな収益を上げることができました。そのため、船主にとっても一攫千金を夢見ることができる存在でした。

収益は、1往復で、現在の貨幣価値にして6千万円から1億円ほどになることもあったとか。北前船が大きな収益を上げることができたのは、国内の地域間価格差があったためです。北日本で採れたものが西日本では高く売れ、またその逆もありました。

ただし、日本海の荒波に飲まれ、水難事故も多かったといいます。荒波を乗り越え、大きな収益を上げた船主たちの邸宅が現在でもいくつか残っています。

北前船の里資料館(Wikipediaより)

例えば、石川県加賀市にある「北前船の里資料館」の建物は明治時代に北前船主・酒谷長兵衛(さかやちょうべえ)が建てました。敷地面積は約1,000坪、30畳の大広間などの特徴からも、その豊かさが伝わってくるのではないでしょうか。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

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