雪面から突き出た腕、上半身裸の遺体…遭難者たちの怪しき最後。明治時代に起きた謎の遭難事件とは?

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雪面から突き出た腕、上半身裸の遺体…遭難者たちの怪しき最後。明治時代に起きた謎の遭難事件とは?

突然ですが「ディアトロフ峠事件」というのを知っていますか?1959年2月、旧ソ連時代に起きた未解決事件の遭難事件です。

ウラル山脈のホラート・シャフイル山で雪山登山をしていたウラル工科大学の学生と卒業生の男女9名が、マイナス30℃の極寒の中、なぜか全員が裸足でテントを飛び出し1,2名ずつバラバラの場所で低体温症で亡くなっていたという事件です。

テントは雪崩で潰された形跡はなく、中には9人のザックやブーツが整然と残っており、なぜ彼らが裸足で外に出たのかは謎。遺体には眼球や舌が無いものや高い放射線量が検出されたものもあり、最後に撮影された写真のなかにオレンジ色の発行体が映っていたりと、謎が謎を呼び20世紀最大の遭難事件とも揶揄されています。

新潟地方の雪山

ここからが本題ですが、実は明治期の日本においても、この事件に匹敵する不思議な遭難事件がありました。明治20年(1887年)4月16日付の「新潟新聞」に「怪しき最後」というタイトルがつけられた事件です。

明治に起きた謎の遭難事件

事件のあらましは、こうです。

新潟県南魚沼郡清水村の阿部五郎平、同勝五郎、同正吉、小野塚文造、同文吉の五名が熊猟に出かけるため、二斗(約30キロ)ほどの米を担いで寶川という場所付近の山に入りました。

しかし10日経っても戻って来ないため家族らが要請して捜索隊を出したところ、古くから使われている猟場で全員の遺体が発見されました。

初春の熊のイメージ

新潟県の山の4月といえば残雪期と呼ばれ、まだ雪はたっぷりと残っており、雪が緩むと雪崩などに注意しなければならない時期。春はクマがまだ巣穴から出るか出ないかですが、当時高級品であった「クマノイ(クマの胆嚢)」を目的にクマ狩りに出たようです。

発見した現場の様子が異様だったため、捜索隊は凍り付いたといいます。仮小屋の中では1人の猟師が片袖を脱いだまま火床に突っ伏して亡くなっており、もう1人は小屋から1町(約109m)ほど離れたところに仰向けで亡くなっており、他の3名はさらに2、30間(約36m~約54m)ほど離れたところで、やはり仰向けになって亡くなっていました。

雪の中で最初に発見された遺体は雪面から人を招くように右手だけ突き出ており、その手だけが紫色に変色していました。外で亡くなっていた人たちには外傷はないものの、なぜか皆が上半身裸でした。5人は互いに助け合った様子もなく、ただぽつぽつと散らばって死んでいった様子でした。また、遺体が野生動物に食べられた様子もなかったのでクマに襲われたわけでもありません。

小屋の中で亡くなっていたのは猟師の中心的存在の人物で、小屋には米が1斗(約15キロ)とお粥の残りがあり、食糧は十分あったので餓死したわけでもありません。壁には鉄砲も熊槍も立てかけてあり、5人が争った形跡はありませんでした。

マタギのイメージ

当時は死因を調べる方法もないので、遺体は解剖されることもなく、そのまま遺族に引き取られ荼毘に付されたということです。

5人の死因は?

一酸化炭素中毒であれば、無自覚で突然症状が現れるため、5人が近くでまとまって倒れている可能性が高く、バラバラになって死んでいるのがありえないとは言えませんが少し考えにくいでしょう。また一酸化炭素中毒の御遺体の特徴は血色がいいということなので、手だけ紫に変色しているのも不思議です。

小屋の火床に半身を突っ伏して亡くなっていた男性も謎です。最後まで火を起こそうとしていた様子でしたが、なぜ仲間が出ていくのを止めなかったのでしょうか。

止められるほど自分にも体力が残っておらず、最後まで火を起そうと努力したものの、発火ができずに力尽きたのでしょうか。

考えられるとしたらあまりの寒さに低体温症のような状態になり、皆が意識もうろうとなってしまったということでしょうか。当時は現在のような気象データは存在しませんが、入山後2日後に大雪が降ったと記録されているようです。

筆者は雪山登山をしますが、春の残雪期の登山は一瞬にして低体温症になる危険は高くないものの、難しい点があります。

なぜなら直射日光は春の兆しなので、日中に山を縫うように歩けばかなりの汗をかきます。現代でも、3月末ともなれば、重たい荷物を以て雪の照り返しの中歩くと、長袖一枚で十分のこともあります。

しかし日没後、気温は一気に下がります。かいた汗は一気に冷え込み、自分の肌に凍り付くこともあり低体温の危険性が高まります。また、知らず内に脱水症状を起こすこともあります。

当時は現在の様にレジャーの登山は一般的ではありません。猟師しか山に入らないのであれば、雪は踏み固められていない可能性が高いので、そういった場合はラッセルといって雪をかき分け進みます。その際、日中緩んだ雪が衣類や靴を濡らすこともあり、知らず内に凍り付いていることもある、十分注意が必要な時期です。

そして極寒の状態なると「矛盾脱衣」という現象が起きることがあります。

人は長時間極寒に晒されると、皮膚血管を収縮させて体内から温めようとする働きが強くなります。すると体温と外気温との間で温度差が生じ、脳が「暑い」と錯覚してしまうのです。もしかしたら4人にも同じようなことが起きたのかもしれません。

思いがけず大雪が降り、5人とも疲れ果て仮小屋に入ったものの、日中にかいた汗が急激に冷えて低体温症に陥り、火をおこそうとしたが湿気などで思うように火が付かず、そのうち4人が意識障害で室内を暑いと錯覚して、小屋の外へ跳び出して服を脱いでしまった…そんな筋書きがたてられなくもありません。ただ、ベテランの猟師たちがそんな初心者のような気のゆるみを起こすでしょうか…。

紫色の手の謎は、急激に血管が収縮して内出血を起こしてしまったのでしょうか。

山の中で何が起こったのか…それはもう知る由もありません。

しかしディアトロフといい、この明治の遭難事件といい、この解けない謎は筆者の中に永遠に棲み続けてしまうことでしょう。

参考:新潟県立図書館

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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