藤原不比等「大宝律令の功労者は女性関係で力を得た!?」 (2/2ページ)
「正倉院宝物」の黒くろ作づくりの懸かけ佩はきの刀た ちの由緒として「草壁皇子が常に身に着けていたものだが、それを不比等が賜り、文武が即位した際に不比等があらためて天皇に献上した」とある。
これすなわち、不比等が草壁から文武へバトンを渡す役割を担っていたことを示すものだ。当然、そのバックには持統天皇がいた。
落胤説はないとしても、こうして妻や娘や女帝との“女性関係”をフルに活用して右大臣まで昇りつめたわけだが、彼に政治的力量がなければ女性たちの信頼を勝ち得なかった。よって、不比等こそが藤原摂関家の事実上の始祖といえる。
跡部蛮(あとべ・ばん)歴史研究家・博士(文学)。1960 年大阪市生まれ。立命館大学卒。佛教大学大学院文学研究科(日本史学専攻)博士後期課程修了。著書多数。近著は『超新説で読みとく 信長・秀吉・家康の真実』(ビジネス社)。