天皇にキレた平安貴族・藤原基経!たったひとつの言葉をめぐり天皇が謝罪「阿衡の紛議」とは?
みなさんは、普段どれくらい「言葉」を意識しているでしょうか?筆者はライター・校正者として日々言葉と向き合っていますが、ちょっとした言葉の言い回しや表現の仕方で、相手に与える印象が変わることがあると感じています。
また、近年ではSNSなどのちょっとした書き込みが思わぬ誤解を呼び、「炎上」するなんてことも多くありますよね。
今回の記事では、そんな「言葉」をめぐって起きた「阿衡の紛議(あこうのふんぎ)」(=阿衡事件)という出来事を紹介します。
いったい、どのような言葉が問題となったのでしょうか?
阿衡の紛議(阿衡事件)の背景阿衡の紛議にかかわる重要な人物としては、藤原基経(ふじわらのもとつね)と宇多天皇(うだてんのう)が挙げられます。
藤原基経は藤原良房(皇族以外で初めて摂政の座につき、藤原北家全盛の礎を築いた人物)の養子です。良房亡き後は、清和天皇・陽成天皇・光孝天皇・宇多天皇の四代にわたって仕えました。ちなみに、光孝天皇を立てる前には、暴虐として知られた陽成天皇を廃しています。
宇多天皇は猫好きとしても知られています。ちなみに、2024年の大河ドラマ『光る君へ』で黒木華さん演じる源倫子の父・源雅信(演:益岡徹さん)は、宇多天皇の孫にあたります。
阿衡の紛議(阿衡事件)の流れ887年(仁和3年)、宇多天皇が即位した直後、当時太政大臣(朝廷の最高位の役職)であった藤原基経に、先代の光孝天皇のときと同じように、天皇の補佐をしてもらおうと考えました。ちなみに、当時の作法として、関白の位に就く際には一度断って、天皇が2度目の勅書を出してようやく正式に就くというものがありました。
宇多天皇は、当時の最高の学者とされた橘広相(たちばなのひろみ)に藤原基経を関白とする文章を書かせ、彼のもとに届けました。
しかし、ここで事件が起こります。
この勅書には、「宜しく阿衡の任を以て卿の任とせよ」と書かれていたのですが、この「阿衡(あこう)」という言葉に、基経の側近であり文章博士の藤原佐世(ふじわらのすけよ)という人物が待ったをかけます。
藤原佐世は、「阿衡」は中国の古典において名ばかりの名誉職を指すものだから、政治から手を引けと言っているとも捉えられる、と基経に告げます。
基経はこれに激怒し、出仕するのをやめてしまいます。つまり、仕事をボイコットしてしまったのです。
基経のボイコットにより、朝廷は大混乱。仕事が回らなくなってしまいます。困った宇多天皇は、仕方なく橘広相の職を解きます。「阿衡の言葉は間違いだった」という新しい勅書を出します。
阿衡の紛議(阿衡事件)と菅原道真これで一件落着、とはいきませんでした。藤原基経は、橘広相を流罪にするよう求めます。ここで、菅原道真が助け舟を出します。
菅原道真は、藤原基経に対して、これ以上争っても藤原北家のためにならない、との手紙を出します。これを受け、藤原基経は譲歩。基経は関白に就任し、橘広相も罪に問われることはありませんでした。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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