暗殺が横行した江戸時代の幕末に「尊王攘夷派の四大人斬り」と呼ばれた暗殺者たちの末路【前編】 (2/4ページ)
その後、武市半平太と義兄弟の契りを結び、土佐勤皇党の岡田以蔵らと徒党を組んで武市らの指示で暗殺を繰り返します。命令には絶対服従で同士だろうと自分の敵だろうと容赦なく暗殺していきました。本間精一郎、渡辺金三郎、大河原重蔵、森孫六、上田助之丞などを集団で次々に暗殺。そのころには「人斬り新兵衛」と呼ばれていました。
田中新兵衛の末路
過激派攘夷論者の公卿の姉小路公知(あねがこうじきんとも)が京都御所、朔平門(さくへいもん)付近で刺客3人に襲撃されるという事件。田中新兵衛は、その朔平門外の変の容疑者として捕らえられ、尋問で一言も発せず隙を見て自刃という末路でした。享年31歳。
実はこの少し前に、坂本龍馬や勝海舟に会って開国派になりつつあったようです。あまりにも手際が悪かったことから、新兵衛の仕業ではないと考えられていました。しかし近年では、この頃はノイローゼ気味で、命令されたのではなく単独犯だったという可能性が高まっています。
2 河上彦斎(かわかみげんさい)
元熊本藩士の河上彦斎は、実は四大人斬りの中では異質な存在でした。