暗殺が横行した江戸時代の幕末に「尊王攘夷派の四大人斬り」と呼ばれた暗殺者たちの末路【前編】 (1/4ページ)

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暗殺が横行した江戸時代の幕末に「尊王攘夷派の四大人斬り」と呼ばれた暗殺者たちの末路【前編】

幕末は暗殺が横行した時代。特に有名だったのが、「尊王攘夷派の四大人斬り」と呼ばれる四人の暗殺者でした。

前半では、四大人斬りのうちの二人、「田中新兵衛」と「河上彦斎」の末路について紹介します。

なぜ暗殺は繰り返されたのか?

幕末は刀で時代を変えようとする志士達によって、暗殺が繰り返されました。桜田門外(さくらだもんがい)の変で大老の井伊直弼が暗殺され、水戸藩の名もなき志士達によって時代が動いたのをかわきりに、尊王攘夷の大義のもと天誅(天皇に代わって悪人を成敗する)と称して、要人がその刃の対象となりました。

自分達の中では、「暗殺で時代を変えるのが正義」と信じて疑わなかったのでしょう。

幕末の四大人斬り

1 田中新兵衛(たなかしんべえ)

元薩摩藩士の田中新兵衛が、まず暗殺したのが島田左近(正辰)。島田左近は、井伊直弼の右腕であった長野主膳に協力して、安政の大獄で尊王攘夷派を弾圧していました。しかも京都ではそのころ絶大な権力をふるっていて、土佐勤皇党の武市半平太(瑞山)が台頭するまで都の実質的な支配者でした。さらには、1万両を越えた賄賂を江戸幕府より受け取っていました。

脱藩後上京してきてすぐに、田中新兵衛を含む6名で暗殺する計画が持ち上がるも、失敗に終わります。しかし、ここからが田中新兵衛の怖いところ。その後1カ月間、島田左近を追いまわし、鴨川の河原で斬殺し、晒し首にしました。実はこれが「天誅」の先駆けとなりました。

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