ある人物の手腕で新政府軍を圧倒!幕末期の戊辰戦争のひとつ「北越戦争」で長岡藩が善戦できた理由 (4/5ページ)
河井は戦闘が始まった5月2日には指揮官として戦闘に参加しており、まず5月10日に、信濃川を突破してきた新政府軍を撃退しました。
翌日には新政府軍の反撃が始まりますが、河井は地の利を生かした戦術に出ます。彼は山地に陣を構えて戦いを優位に進めたのです。
しかし、さすがに数で劣っていた長岡藩は追い詰められていきました。5月19日に、かの山縣有朋によって長岡城が奪われたことをきっかけに、藩内では新政府軍に寝返って工作活動を始める者が現れ始めます。
7月25日にはなんとか長岡城を奪還しますが、この時すでに兵力は底をついていました。河井が足に怪我を負って戦線から離れると、指揮官不在の状態で軍は敗走し、8月16日の河井の死と時を同じくして、長岡藩は降伏したのです。