西洋で重宝された「盾」を日本の武士やサムライが使わなかったとされる納得の理由

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西洋で重宝された「盾」を日本の武士やサムライが使わなかったとされる納得の理由

現代までに世界各国で内紛や戦争が勃発。ときには世界を巻き込んだ大戦へと発展するケースもありました。

そういった内紛や戦争では、己の足のみで戦場を駆け抜ける「歩兵」が先陣を担当して敵陣に直行するため。攻撃をモロに受けることも多かったようです。

西洋ではこういった「歩兵」と呼ばれた兵隊たちが盾を使って攻撃を防いでいましたが、日本の武士やサムライは刀などの攻撃系の道具のみで戦ったとされています。

どうしてなのか、詳しく見ていきましょう。

西洋で発展した盾の歴史と装備するメリット

叩き斬ることに特化した西洋の「ロングソード」や高い破壊力を持つ「ハンマー」、弓矢や投石などの投擲物を用いた戦いを主流とした西洋諸国では、それらの攻撃を防ぐ手段として強固な盾が存在しました。

複雑な構造を持つ鎧よりも安価に大量生産できるというメリットもあって、防御力に長けた盾は必需品として重宝されたのです。

Wikipediaより

西洋における盾の歴史は、紀元前5世紀から存在していたと考えられています。というのも、この当時世界最強の戦闘民族として知られていた「スパルタ人」は、横一列に並んで左手に盾を持ち、右手に槍を構えて攻守に優れた陣形で戦っていたのです。

盾で防御し、隙をついて槍で攻撃したため、並大抵の歩兵では敵いませんでした。こうして盾文化が注目され、のちの西洋でも流入されることとなったのです。

小型化した西洋の盾

Wikipediaより

西洋では盾を主流とした戦い方が流行しはじめると、敵も味方も盾だらけで、お互いに決め手となる攻撃力に欠けてしまいます。そこで重要となったのが盾を突破できるほどの攻撃力でした。

そのため、盾を粉砕するほどの大型両手剣が導入されるようになり、防御しても砕かれる盾の需要は低下。一時は戦場で使用される機会も減ったそうですが、しばらくすると、攻撃を受け流すことに優れていた盾の利点が再注目されるようになります。

そして、機動力と攻撃力を損なわない最小の大きさに調整された小型の盾が誕生。盾で敵の攻撃を受け流しつつ攻撃できるという新しい戦闘スタイルを確立しました。

時代が進んで銃火器が使用されるようになっても、肝心な場面で「仲間や自身の命を守る最後の砦」である盾は、命の次に大切な防具とし教え込まれるようになったのだとか。ちなみに、アニメ・ゲームでよく描かれる「紋章つきの盾」は、西洋の盾がモチーフとなっており、紋章には「騎士や戦士の誇り」の意味が込められています。

武士やサムライが盾を持たなかったとされる理由

西洋では重宝された盾ですが、日本の歴史によく登場したのは4世紀以前です。

縄文時代から存在していたと考えられていて、盾を持った埴輪や土偶も確認されています。また、最古の歴史書「日本書紀」にもその存在が記されていました。つまり、古代日本人にとっても盾は、貴重な自己防衛の道具だったのです。

しかし4世紀以降の日本は、同盟国・百済(くだら)の救援要請を受けて朝鮮半島に出兵。そこで馬を使った戦闘スタイルを目撃し、戦況をひっくり返すほど強力な騎馬兵の強さを知ったのです。

馬を制御しながらの戦闘はセンスが不可欠でしだが、生真面目な日本人は努力で技術を磨き、朝鮮半島の戦闘スタイルを取り入れることに成功したのでした。馬に跨って戦闘する際は手綱と刀で両手が塞がるため盾は持てません。

騎馬兵は機動力があり、高い位置からの攻撃など盾にも劣らないメリットが多くありました。

そのため、武士やサムライによる馬を使った戦闘が増加した戦国時代以降には、盾はほとんど使われなくなったといわれています。

のちの戦国時代で最強の称号を手にした武将「武田信玄」も、強力な騎馬隊を率いたことで数々の戦いを制しました。

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