実はかなり高い教養があった紫式部の弟・藤原惟規。詠んだ和歌に見える彼の才能【光る君へ】 (3/4ページ)
逢坂の 関うちこゆる ほどもなく
今朝は都の 人ぞこひしき※『藤原惟規集』補遺(一)
※『後拾遺和歌集』別、四六六
※父とともに越後へ参る道中、源為善朝臣へ
【意訳】まだ逢坂の関を越えてもいないのに、今朝はもう京都の皆さんが恋しくてならないのです。
寛和の変(寛和2・964年)から十年の雌伏を乗り越え、晴れて越後守となった父・為時。
惟規は父と共に越後へと旅立ちますが、ちょっと京都を離れただけで、もうみんなが恋しくてなりません。
きっとパリピ気質だったのでしょうね。
「父上を大切にはしたいけど、みんなと離れ離れはやっぱり寂しい……」
そんなやるせなさが、ひしひしと伝わってきますね。
図らずも辞世に…力尽きた最期の一文字都にも 恋ひしき人の 多かれば
なほこのたびは いかむとぞ思ふ※『藤原惟規集』補遺(三)
※『後拾遺和歌集』恋三、七六四
※越後で重病を患い、斎院の中将(源為理女)へ
【意訳】都には会いたい人が多いので、今回は重病を乗り越え、生きて帰ろう(行こう)と思います。
さて、父や姉と共に越後へやってきた惟規。
早く京都に帰りたいなぁ……なんて思っている内に、重病を患ってしまいました。
「生きて、彼女に会いたい……ガクッ」
実は最期の一文字は書ききれず、力尽きて世を去ってしまいます。
最期の「ふ」は父・為時が書き足してあげたもの。だから当人に聞いたら、もしかすると
「自分を鼓舞するよう、いかむとぞとぞ思『へ』にしようと思っていたのに」
なんて言うかも知れませんね。