古くから死罪や晒し首の舞台となっていた処刑場「三条河原」に散った幕末の志士や戦国武将たち【前編】 (2/3ページ)

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釜煎りにされる石川五右衛門(Wikipediaより)

五右衛門は京都や大阪などで盗みを働き、部下も多数従える盗賊団の首領であった。

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処刑までの経緯は明らかになっていないが、山科言経の日記「言経卿記」や、林羅山の「豊臣秀吉譜」には、1594年の8月に母親や仲間と共に油で釜炙りにされたと記載が残る。

豊臣秀次と縁故の人物約40名

豊臣秀吉の甥として関白職を譲られた人物である。当初、自分の後継者として秀次を擁立した秀吉であったが、1593年に実子である秀頼が生まれたことによって秀次の存在が邪魔になった。

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