江戸時代、極めて非人道的な政策で「島原の乱」を引き起こした愚かで無能な藩主・松倉親子の愚行【前編】 (2/4ページ)
島原陣図屏風 戦闘図(秋月郷土館蔵)
藩主となった松倉重政
松倉重政は暗君と呼ばれていますが、島原藩の藩主となる前は名君になると言われたほどの片鱗を見せていました。まずは藩主となる前の松倉重政についてみてみましょう。
活躍が認められて大名へ父松倉重信は、大和郡山城主の筒井順慶(つついじゅんけい)の重臣として仕えていました。石田三成の懐刀の島左近とともに「右近左近」と呼ばれるほどでした。
父重信の死後、重政は家督を継ぎます。関ケ原の戦いでは単身で参陣して徳川家康に戦功を認められ、大和国五条二見城主となり1万石を与えられました。
関ヶ原合戦図屏風(六曲一隻)
大名になった重政の働き
ついに大名となった松倉重政は、諸役の免除(夫役や軍役、本年貢以外の租税を免除すること)を行い、商業の振興を図って五条新町を完成させます。