下級武士でも積極的に抜擢!意外と柔軟だった江戸幕府の身分制度は、明治の教育制度にも影響を与えていた (3/4ページ)
このように叩き上げで勘定奉行に上り詰める者もおり、立身出世を目指す一般武士にとっての、いわば関門だったと言えるでしょう。
明治政府にも影響を与えた「徳川の実力主義」黒船来航以降は、人材の確保と育成のために、幕府は下級武士であっても積極的に抜擢するようになります。御家人や他藩の藩士、商人、富農も積極的に採り立てるようになったのです。
例えば、明治の言論界で活躍した福沢諭吉も元は他藩の下級武士です。また、経済界をリードした渋沢栄一も豪農の出身でした。
こうした実力本位の考え方は、徳川家が駿河藩に転封されても継承されました。
徳川家は、家中の立て直しのために、幕府の研究機関である開成所を元にした静岡学問所と沼津兵学校を設置。